富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(98)

 十戒の第五の戒め、「あなたの父母を敬え」についてのお話をしています。「父母を敬う」とは、自分を生んでくれた両親を敬う、というよりも、神様が、自分をその両親のもとに生まれ、育つようにされた、その神様のみ心を受け入れ、尊重することだ、ということをこれまでにお話ししてきました。そのように考えていくときに、この「父母」は、単に血のつながった親というだけのことではなくなるのです。何らかの事情で、産みの親とは違う親に育てられる人もいます。その場合も、神様が自分をその育ての親のもとに置き、その人たちによって育てられるようにされた、その神様のみ心を受け入れ、育ての親を敬う、ということになります。さらには、「一つの家庭の親」というだけでなく、この社会において、私たちがそのもとに生まれ、育てられた前の世代の人々全体をも含めて考えることもできます。その場合には、前の世代の人々を敬え、先輩を敬え、ということにもなるのです。

 「ハイデルベルク信仰問答」はこの戒めの意味を次のように語っています。
「わたしが、わたしの父、母、および、わたしの上に立つすべての人々に対して、一切の栄誉と真実とをあらわし、みずからを、正しい服従をもって、すべての良い教えと罰とに服させ、彼らの過ちをも、忍ぶことであります。なぜならば、神は、彼らの手を通して、われわれを支配することを、望んでおられるからであります」

 このように、「父母」は、「わたしの上に立つすべての人々」へと広げられて行くのです。それは、職場の上司ということでもあるでしょう、国の指導者たちということでもあるでしょう。それらの、この社会において私たちの上に立つ権威を持っている人々を敬い、服従すること、そして、「彼らの過ちをも忍ぶ」ことが勧められているのです。つまり、「父母を敬う」ことは、この社会の秩序を尊重することと繋がっている教えなのです。そしてその根拠は、神様が私たちをそれらの人々の下に置かれたことです。ハイデルベルク信仰問答の言葉で言えば、「神は彼らの手を通して、われわれを支配することを望んでおられる」のです。この社会における権威は、神によって立てられたものだという前提がここにはあります。その神様のみ心に従うために、自分の上に置かれた人々を敬い、服従するのです。

 このように、「父母を敬え」という戒めは、この社会に立てられている秩序、権威に従うことをも教えているのですが、それは、この世の権威や秩序に絶対に服従せよということではありません。基本は、神様のみ心に従うことなのです。ですから、神様のみ心に従うことと、この世の権威、秩序に従うことが矛盾対立してくるならば、本当に従うべき相手は神様です。神様に従うがゆえに、この世の秩序や権威とは対立するということもあり得るのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2003年4月14日〜5月4日]

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