富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(99)

 十戒の第五の戒め、「あなたの父母を敬え」について、最後にもう一つのことをお話ししておきたいと思います。それは、この戒めが、年老いた両親の面倒をしっかり見なさい、ということをも意味している、ということです。聖書が書かれた古代の世界において、経済的に決して豊かではない生活の中で、年老いて働くことができなくなり、子供たちの世話にならなければならなくなったお年寄りの立場は弱いものでした。そのような両親を、見捨てることなく、きちんと支えていくことが、神様のみ心であり、神様の民としてのあり方なのだということをこの戒めは教えているのです。

 日本にも昔、「楢山節考」に描かれているような、「姥捨て」の風習がありました。それは文字通り、口減らしのためにお年寄りを山に捨ててくる、ということですが、経済的には豊かになった今日でも、経済的とは別の理由で同じことが行われています。老人ホームや老人病院が現代の姥捨て山になっている、という面があります。そういう施設自体がいけないわけではありません。「超高齢化社会」という現実の中で、どうしても家庭で介護することができないという事情も確かにあるでしょう。しかしたとえそういう施設を利用することがあるとしても、年老いた親を最後まで「敬い」、大切にし続けるという心を失ってしまってはならないでしょう。「あなたの父母を敬え」という戒めは現代の社会において、改めて大事な意味を持ってきていると言うことができると思います。

 さて、第六の戒めに進みたいと思います。それは、「あなたは殺してはならない」です。これは十戒の中で最もわかりやすい戒めかもしれません。人を殺してはならない、殺人は罪であるということは、法律にも定められている、誰でも知っている常識です。しかしここで改めて考えてみていただきたいのです。何故人を殺してはならないのでしょうか。すぐに思い付くのは、殺されることは誰だって嫌だ、そういう人の嫌がる事をしてはならない、ということです。それはとても大事な根拠だと思います。しかしそれならば、嫌がっていない、むしろ早く死にたいと思っている人ならば殺してもよいのでしょうか。あるいは、自分が「死にたい」と思ったなら、自分を殺す、つまり自殺することはかまわないのでしょうか。「人の嫌がることをしてはいけない」ということでは、そういう問いには答えられないのです。人であれ自分であれ、あるいは「死にたい」と思っている人であれ、殺すことはいけない、と言うためには、もっと根本的な根拠が必要です。聖書はその根拠を、人間の命は神様から与えられたものであり、神様のものなのだ、というところに見ています。自分の命は自分が自由にできる自分の所有物ではなくて、神様が司っておられる神様のものなのです。そのことを次回からお話ししていきたいと思います。

牧師 藤 掛 順 一
[2003年5月5日〜5月18日]

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