富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(96)

 「救いの歴史」と題して、旧約聖書の出エジプト記についてのお話しをしています。今はその第20章にある「十戒」を読んでいます。十戒は、神様がイスラエルの民にお与えになった十の教えですが、それは二枚の石の板に刻まれていたと聖書にあります。つまり十戒は二つの部分に分けることができるのです。どこでそれを区切るかについては、議論があります。これまでに、第四の戒めまでを読んできましたが、一般的によくなされるのは、この第四までを一枚目、つまり前半部分とし、第五の戒めからを二枚目、つまり後半部分とする、という区切り方です。前半が4つ、後半が6つということになります。つまり今回取り上げる第五の戒めから、後半部分に入るわけです。

 その第五の戒めとは、「あなたの父母を敬え」というものです。とてもわかりやすい、そして聖書に限らず、どんな宗教においても、また道徳の教えにおいても、必ず言われる当然のことです。

 この戒めから後半に入るというのは、これまでの、第四の戒めまでに語られていたことは、神様に対してなすべきこと、あるいはしてはならないこと、だったのに対して、この第五からは、人間に対することについての教えになるからです。人間に対することの筆頭に、父母のことが置かれているのです。

 父母を敬えという教えは、わかりやすい、当然のことだと申しました。しかし敢えて問いたいと思います。何故、父母を敬わなければならないのでしょうか。この問いに対して、たいてい返って来る答えは、父母が自分を生んでくれたからだ、父母がいなければ自分はいなかったのだ、自分が今生きているのは父母のおかげなのだ、ということです。しかしさらに問いたいと思います。別に自分は生んでくれと頼んだわけではない、自分はこんな者に生まれて来たくはなかった、こんな自分を生んだ両親が憎い…と思っている人はどうなのだろうか、自分を生んでくれたから、ということだけだったら、そういう人の場合は敬ったり、感謝したりする理由はなくなってしまうのではないでしょうか。

 十戒が、父母を敬えと教えているのは、自分を生んでくれたから、ではありません。父母は、神様が自分の上に置いた人だからです。自分が両親の下に生まれたのは、両親のおかげ、ではなくて、神様が、この両親の下で、彼らの血を受け継いで生きなさいと私たちにお命じになったからです。その神様のみ心を受け入れ、尊重することが、「父母を敬う」ことなのです。つまりこの戒めは、人間に対することを教えているようでもありますが、実は神様に従って生きることを教えているとも言えます。そういう意味ではこの戒めは、十戒の前半、一枚目の板の方に入れることもできます。そうすると、前半も五つ、後半も五つと、丁度半分ずつになるのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2003年3月17日〜3月30日]

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