富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(95)

 「十戒」の第四の戒め、「安息日を心に留め、これを聖別せよ」についてのお話をしています。神様が六日で天地を創造され、七日目に休まれたことが安息日の紀元であるということをお話ししてきましたが、それならば、それは週の七日目、最後の日ということになります。一週間は日曜日から始まります。ですから七日目は土曜日です。イスラエルの民が守ってきた安息日は土曜日だったのです。しかし今、お休みの日は日曜日、つまり週の最初の日になっています。このごろは週休二日制で土曜日も休みということが多くなってきましたが、もともとは日曜日が休みというのが、私たちの用いている暦です。どうして、土曜日ではなくて日曜日が休みなのでしょうか。

 日曜日を休日とする暦は、紀元4世紀の始めに、ローマ帝国において、皇帝コンスタンティヌスによって導入されました。このコンスタンティヌスという皇帝は、それまで禁止され、迫害されてきたキリスト教をローマにおいて初めて公認した皇帝として知られています。彼は自らがクリスチャンとなり、キリスト教を軸にしてローマ帝国の再編成をなしていったのです。その結果、4世紀の末には、キリスト教はローマの国教となりました。このようにローマ帝国をキリスト教化していったコンスタンティヌスが、その政策の一環として、日曜日を休日とすることを決めたのです。それは、キリスト教会が、日曜日を安息日とし、その日に礼拝を守っていたからです。

 キリスト教会が日曜日に集まって礼拝を守っていたのは、土曜日を安息日とするユダヤ人、ユダヤ教と一線を画するためということもありますが、何よりも、日曜日が、キリストの復活の日だったからです。キリストは金曜日に十字架上で死なれ、週の初めの日、日曜日の朝に復活されたのです。教会は、初期の頃から、このキリスト復活の記念日である日曜日を「主の日」と呼んで、その日に集まって礼拝を守りました。そのキリスト教が次第に広まり、社会の中心になっていったことによって、日曜日を安息日とする暦が採用されていったのです。

 つまり、教会の日曜日の礼拝と、日曜日休日の制度とでは、教会の礼拝の方が先なのです。教会は、日曜日が休日だからその日に礼拝を守っているのではありません。教会が、キリストの復活の記念日である日曜日に礼拝を守っていたから、日曜日が休日になったのです。ちなみに、ユダヤ教では今でも安息日は土曜日です。イスラム教の安息日は金曜日です。日曜日休日というのは、キリスト教を起源とすることなのです。そしてその安息日の最もふさわしい過ごし方は、神様を礼拝することです。神様を礼拝することによって、私たちは本当の休みを与えられ、リフレッシュされるのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2003年3月3日〜3月16日]

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