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テレホンメッセージ「救いの歴史」(94)「十戒」の第四の戒め、「安息日を心に留め、これを聖別せよ」についてのお話を続けます。安息日は単なる休みの日ではなく、人間の業を停止して神様に目を向け、神様の恵みと祝福にあずかる日、神様を礼拝する日なのだということを申しました。そのことによってこそ、私たちは本当の安息を与えられ、新しくされ、リフレッシュされるのです。
ところで、神様が六日で天地を創造され、七日目に休まれたことが安息日の起源であると申しましたが、それは出エジプト記20章の十戒における話です。旧約聖書の中に、十戒が語られているもう一つの箇所があるのです。それは、申命記の第5章です。そこにおける第四の戒めはこうなっています。 ここには、天地創造において神様が七日目に休まれたということは出てきません。その代わりに、神様が、エジプトの国で奴隷とされ苦しめられていたイスラエルの民を救い出して下さったこと、いわゆる「出エジプト」の出来事が安息日の根拠とされているのです。エジプトにおける奴隷の苦役から解放し、安息を与えて下さった、その神様の救いのみ業が安息日の起源とされているのです。この説明は、七日目ということの理由にはなりません。ですから安息日の根拠は基本的には出エジプト記にあるように、天地創造における七日目の休みだと言うべきでしょう。しかしここにも、安息日の意味についての大事な指摘があるのです。奴隷として捕えられ、働かされ、休むことができないでいる者を、神様が救い出し、解放し、休ませて下さった、その神様の救いの恵み、解放の恵みを思い起こし、感謝し、その恵みに新たにあずかっていくことが安息日のもう一つの意味なのです。
牧師 藤 掛 順 一 |
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