富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(91)

 旧約聖書、出エジプト記の第20章にある「十戒」についてのお話しをしています。今はその第四の戒め、「安息日を心に留め、これを聖別せよ」についてです。

 前回は、この戒めが、神様が人間に「休め」と命じておられるみ言葉であり、人間は、神様によってそのように命じられないと、本当に休むことができないのだということを申しました。

 それでは神様が人間に、一週間の内の一日を休めとお命じになる根拠は何なのでしょうか。それについて、出エジプト記20章11節にはこう語られています。
「六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」
つまりこれは、創世記の始めのところにある、神様による天地創造の話と結びついているのです。創世記の第1章に、神様が六日間かけて、次第にこの世界を形造っていかれたことが語られています。その最後の六日目に人間が造られ、それによって天地創造のみ業が完成したのです。そして創世記第2章1節にこうあります。「天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった」。天地の全てをお造りになった神様が、七日目には、休まれた、その神の休み、安息のゆえに、人間も、六日の間働き、七日目には休むのだと言われているのです。

 このことは、いくつかの大事なことを教えています。一つには、人間の労働も、また安息も、神様の働きと安息に基づいているということです。働くことも休むことも、共に人間の都合によることではなくて、世界と人間と造られた神様ご自身のなさっていることであり、その神様が人間に命じておられることなのです。このことは特に、「休む」ということについての理解において大事な点です。働くことは、そうしなければ生きていけませんから、人間にとって働くことが大切であることは誰でもわかります。しかしそれと同じく、「休む」ことも人間にとって大事なことなのです。働くことは美徳で、休むことは罪悪であるという感覚は、もう大分廃れたとは言え、私たちの社会にはかなり根強くあります。しかしそれは根本的に間違っているのです。働くことも、休むことも、共に神様に根拠を持つことであり、同じ価値のあることなのです。従って、休むことは、働くためではありません。働きづめでは疲れて仕事の能率が低下するから、休んで体力気力を回復してまた働くのだ、というのとは違うのです。休むことは働くことの付属物ではありません。休むことそれ自体に積極的な意味と価値があるのです。そのことを次回さらに考えていきたいと思います。

牧師 藤 掛 順 一
[2003年1月6日〜1月19日]

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