富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(90)

 このテレホンメッセージでは、「救いの歴史」と題して、旧約聖書についてのお話をしています。今は、出エジプト記の第20章にある、神様がご自分の民イスラエルの人々に与えた十の戒め、「十戒」についてお話しているところです。今回から、その第四の戒めに入ります。それは、「安息日を心に留め、これを聖別せよ」というものです。

 安息日というのは、一週間に一度の休日、お休みの日のことです。その日をちゃんとお休みとして守りなさい、と言われているのです。そう申しますと、「なんだ、そんなことなら当たり前にしている」と思う方もおられるかもしれません。私たちは、週に一日、日曜日が休日であるというのを当たり前と思っています。このごろは、土曜日もお休みというケースも増えてきました。けれども、日曜日が休日というのは決して当たり前のことではありません。そもそも、七日間を一週間とし、その一日を休日とするというリズムをもって生活したのは、旧約聖書の民であるユダヤ人でした。そのユダヤ人の暦が、ギリシャやローマにも伝わり、ヨーロッパ世界を経て日本には明治になって伝えられたのです。江戸時代までの日本人はそういう暦を使ってはいませんでした。生活のリズムはむしろ十日を単位とすることが多かったようですし、定期的な休日という考えもなく、お盆とお正月のような、特別なお祭りの日のみが休みだったのです。

 一週間を七日とする暦は、バビロニアの影響のもとに、ユダヤ人の間で定着したものでした。それは、旧約聖書、創世記の始めのところにある、天地創造の話から来ています。神様が、六日間かけてこの世界と人間をお造りになり、七日目には休まれたのです。そこから、人間も、六日の間働き、七日目には休むというリズムをもって生活するように、神様が定められたというのです。

 つまり、聖書においては、人間の休日、お休み、安息は、神様の休み、安息に基づいており、神様の命令によって人間は休むのです。それを命じているのが十戒の第四の戒めなのです。仕事を休むのに、神様の命令などいらないのではないか。そんな命令などなくても、休むことはできる、ともし思うとすれば、それは間違いです。サラリーマンの方々は、「休む」ということがどんなに難しいかを体験しておられるのではないでしょうか。「休みたい」という思いはあっても、だから自分で好きな時に「休みます」と言うわけにはいかないでしょう。会社が、「この日は休日」と決め、あるいは「年に何日休暇を取れ」と決めてくれることによって初めて休みが取れるのです。それがないと、ついつい働き過ぎになってしまうのが、特に私たち日本人の特徴のようです。人間は、「休め」と命令されないと休めないものなのです。そのことを、神様が、人間に命じておられるのです。そう命じることによって、人間に休息、安息を与えようとしていて下さるのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2002年12月25日〜2003年1月5日]

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