富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(80)

 「十戒」の第一の戒め、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」についてのお話しをしています。主なる神様以外の神を拝んだり、敬ったり、依り頼んではならないというこの戒めは、沢山の神々の存在に慣れ親しんでいる私たち日本人には、何か了見の狭い、偏狭な教えのように感じられるかもしれません。もっとおおらかに、いろいろな神々を拝んだってよいではないか、そういう教えの方が、私たちの感性には合うのかもしれません。

 このことは、神様をどういう方として意識しているか、ということと関わる問題です。神様を、私たち人間を見守っており、私たちが願った時にある助けを与えてくれる存在として意識しているならば、そういう神様が何人かいても不思議ではない、ということになるでしょう。むしろそういう神様は多ければ多いほどよい、ということにもなるのです。しかし、聖書においては、神様はそういう方ではありません。聖書における、神様と人間の関係を最もよく示している言葉は、「契約」です。「十戒」も、シナイ山における神様とイスラエルの民の契約に基づいて与えられたものでした。「契約」とは、それを結ぶ両者が特別の関係に入るということです。そしてお互いがお互いに対して、ある義務や責任を負う者となることです。神様と人間とがそういう関係を結ぶのであれば、その契約の相手は、何人もいていいというものではありません。人間どうしの関係になぞらえるならば、これは結婚と同じです。結婚も、特別の関係に入り、お互いに義務と責任を負うという契約です。そういう契約を、あの人ともこの人とも結ぶことはできません。結婚の契約に忠実であるためには、その人のみに集中し、他の人には目を向けないということが必要なのです。聖書が教えている信仰もそれと同じです。信仰とは、一人の神様と契約を結び、特別の関係に入ることです。そうしたら、その契約に忠実に、その神様との関係を大切にして生きるのです。ですから、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という第一の戒めは、了見が狭いのではなくて、私たちが、神様との関係を本当に大切にし、責任を持って生きることを教えているのです。神様も、私たちと契約を結び、責任をもって私たちと関わって下さいます。聖書が教える神様と人間の関係は、そういう、深い人格的なものなのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2002年7月8日〜7月21日]

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