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テレホンメッセージ「救いの歴史」(79)出エジプト記第20章1〜17節に記されている「十戒」についてのお話しをしています。その第一の戒めは、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」です。主なる神様以外の、どんな神をも拝んだり、敬ったり、依り頼んではならない。あなたにとって、神はただ一人、私、主なる神のみでなければならない、ということです。ここに、聖書の信仰が、ただ一人の神を信じる、いわゆる一神教であることが明確にされています。神々にいろいろな役割分担があって、この問題の時はあちらの神、このことはこちらの神、といろいろな神々を拝み、信じることを聖書は禁じているのです。 しかしこの十戒は、これまでにも何度も申しておりますように、「これを守れば神様の救いを獲得できる」という「掟」ではありません。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」という最初の言葉が語っているように、エジプトの奴隷状態からの解放という神様の恵みは既に与えられているのです。ですから、この第一の戒めも、「私以外の何者をも神としないで、ひたすら私を信じ従うなら、救いの恵みを与えてやる」、という救いの条件ではないのです。むしろここの言葉は、こう訳すことができると言われています。「あなたには、わたしをおいて他に神があるはずがない」。「あってはならない」という命令というよりも、「あるはずがない」という確信、信頼の言葉です。つまり、「あなたには、奴隷とされていたエジプトから導き出した私という神がいるのだから、あなたはもう他の神々に頼ったり、拝んだりするはずはない、そんな必要はもうないはずだ」ということです。神様は、イスラエルの民と契約を結び、彼らをご自分の民とし、ご自分は彼らの神となって下さいました。それは神様がイスラエルの民に対してどこまでも忠実であって下さるということです。十戒において求められているのは、イスラエルの民も、この神様に忠実であることです。それが、「わたしをおいて他に神があってはならない」ということなのです。 従ってこの戒めは、「私の他にこの世に神は存在しないのだ」ということを語っているのではありません。そういう、神の存在を論じ、神はただ一人か、それとも他にも神がいるのか、ということではないのです。主なる神様との契約の恵みを与えられた民は、その契約に忠実に、ただその神のみを信じ、拝み、従っていく、そのことが求められているのです。
牧師 藤 掛 順 一 |
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