富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(81)

 「十戒」の第一の戒め、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」についてのお話しを続けます。この教えは、要するに、ただ一人の神様のみを信じて生きることを教えているのです。「ハイデルベルク信仰問答」という信仰の教科書において、この第一の戒めの意味を語っている文章の中に次のような部分があります。 「ただひとりのまことの神を、正しく認め、この神にのみ依り頼み、あらゆる謙遜と忍耐とをもって、この神からのみ、すべての良き物を待ち望み、また、これを、心より愛し、畏れ、崇めねばなりません。」

 ただ一人の神様を信じるとは、すべての良い物をただ一人の神からのみ待ち望むことです。良い物、即ち祝福、恵み、幸いの全てが、一人の神からのみ与えられるのです。この祝福はこの神、あの恵みはあの神、とあちこちに求めることをしないのです。なぜそれをしないのか。それは、本当に良い物、恵みを与えて下さる神を知っているからです。イスラエルの人々は、主なる神様が、彼らをエジプトの奴隷状態から解放して下さったことを知っていました。この恵みを土台として、十戒は与えられたのです。その第一の戒めは、その主なる神こそが、自分たちに必要な、本当に良いものを与えて下さることを信じて生きることを教えているのです。このことは、私たちクリスチャンの信仰にもそのままあてはまります。私たちは、神様が、その独り子イエス・キリストを、私たちの救いのためにこの世に遣わして下さり、その主イエスが私たちのために十字架にかかって死んで下さったことによって、私たちの罪が赦され、また主イエスの復活において死の支配からの解放が与えられたことを信じているのです。要するに神様は独り子の命というかけがえのないものを、私たちの救いのために与えて下さったのです。それゆえに、この神様こそが、私たちに本当に必要な、良いものを全て与えて下さることを信じることができるのです。だから、この祝福はこちら、あの恵みはあちらと飛び回らなくてもよいのです。ただ一人の神様を信じて生きるというのはそういうことです。つまりそれは、他の神々を信じてはいけない、というよりも、もはや他の神々を信じる必要がないということです。この一人の神様が、私たちの人生に必要な、全ての良いものを与えて下さる、そう信じることができる神様と出会うことができるのは、ものすごく幸いなことなのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2002年7月22日〜8月4日]

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