富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(77)

 主なる神様が、シナイ山で、イスラエルの民と契約を結んで下さったことについてのお話しをしています。この契約に伴って与えられたのが、いわゆる「十戒」です。出エジプト記第20章にそれは記されています。この十戒についてのお話しをしていきたいと思います。

 十戒は、「十の戒め」と書きます。神様から、十か条の戒め、掟が与えられた、それが十戒であると私たちは考えがちです。けれども、出エジプト記第20章1節にはこうあります。「神はこれらすべての言葉を告げられた」。そして十戒が語られていくのです。つまり、十戒は神様がイスラエルの民にお与え下さったみ言葉です。十戒のことを英語で、「テン コマンドメンツ」と言うことがあります。それは「十の命令」という意味ですが、もっと古い言い方では「デカログ」と言うのです。これはラテン語から来た言い方で、「デカ」は「十」、「ログ」は「ロゴス」つまり「言葉」です。つまり「十の言葉」という言い方が、十戒のより古い言い方なのです。神様はイスラエルの民と契約を結んで下さると共に、十の言葉を語りかけて下さったのです。イスラエルの民はこの契約によって神様の民となり、この十の言葉を受け止める者となったのです。

 そのみ言葉は何を語っているのでしょうか。20章2節にはこうあります。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」。最初から、「これこれをせよ」という命令が語られているのではないのです。十戒にはこの、言わば前文があるのです。そしてこの前文がとても大事です。そこに、これから語られていくことの前提、土台が語られているからです。その前提、土台とは、神様がイスラエルの民をエジプトでの奴隷の苦しみから救い出して下さったということです。神様の救いの恵みが既に与えられた、そのことが、十戒の前提であり土台なのです。ですから十戒は、「これこれの掟を守れば、神様が救って下さる」という、救われるための条件を語っているのではありません。救いはもう与えられているのです。神様はイスラエルの民を恵みによって選び、苦しみから救い出して下さり、契約を結んで彼らをご自分の民として下さったのです。その救いの恵みを与えられたイスラエルが、神様に感謝してどのように生きるか、それを語っているのが十戒です。どうしたら救われるかではなく、救われた者は神様にどう感謝して生きるか、それを語る言葉が十戒なのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2002年5月27日〜6月9日]

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