富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(6)

旧約聖書、創世記第12章のはじめに、アブラムという人が、神様の呼び掛けを受けて旅立ったことが語られています。このアブラムの旅立ちから、聖書における人間の救いの歴史が始まったのです。

ところで、創世記12章4節にこうあります。
「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。」
ロトというのはアブラムの甥にあたる人です。この人は創世記のもう少し後の方で重要な役割を果たすことになりますが、今回の箇所の中心ではありません。ハランというのは、アブラムが旅立った町の名前です。今回注目したいことはその後の、「75歳であった」ということです。アブラムは、神様の言葉によって、父の家、故郷を離れて、行く先を知らずに旅立った時、75歳だったのです。つまり、アブラムの旅立ちは、前途ある若者が、若さと力にあふれて、自分の人生を切り開くべく、親元を離れて旅立ったということではないのです。アブラムは175歳まで生きたと聖書は記しています。聖書のこのあたりに出てくる人々の寿命は皆そのように長く書かれていますので、75歳といっても、現在の私たちの感覚の75歳とは違うと言わなければならないでしょう。しかしそうではあっても、75歳というのは、決して若者ではありません。十分に分別もついた、既に自分の人生を自分なりに形成している年です。そのように十分に大人になった、あるいは既に老境に入ろうとしているアブラムが、神様の語りかけによって、それまでの生活を捨て、故郷を離れて、未知の世界へと旅立ったのです。

このことは二つのことを私たちに教えています。一つは、神様の呼び掛けを受けて信仰の旅立ちをするためには、それまでに自分が作り上げてきた生活、考え方、習慣などを変えていく勇気が必要だ、ということです。それは大変難しいことのようにも思えます。けれども、このアブラムの物語は、そういう信仰の旅立ちはいくつになってもできるのだ、ということを教えているのです。神様のみ言葉に応えて、祝福を求めて旅立つことは、若者だけの特権ではありません。神様は既に老境に達しようとしていたアブラムを選んで、救いの歴史を始めて下さったのです。

牧師 藤 掛 順 一
[1999年6月14日〜6月27日]

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