富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(5)

旧約聖書、創世記第12章のはじめにある、アブラムという人の旅立ちの物語についてお話ししています。このことから、聖書における「救いの歴史」が始まりました。12章1〜3節を読んでみます。

主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」

このように、アブラムは、神様の祝福の約束を受けて旅立ちました。それが、信仰を象徴している、ということを前回お話ししました。信仰とは、神様の祝福の約束を信じて、神様の示す地に向かって旅立つことです。未知の世界に向かって、冒険の旅に出るように、信仰において私たちは、自分のまだ知らない、神様の祝福に向かって出発するのです。 けれどもここでもう一つ注目しておくべきことがあります。アブラムが旅立ったのは、神様からの祝福を自分がいただくことを期待して、それを求めてというだけではないのです。「祝福の源となるように」という言葉があります。また、「地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」とも言われています。つまりアブラムは、自分の祝福のためだけに旅立ったのではなくて、祝福の源となるために、彼を通して地上の全ての人々が神様の祝福を受ける者となるために、旅立ったのです。そういう意味では、アブラムは、神様によって選ばれた人です。神様がアブラムに白羽の矢を立てて、旅立たせられたのです。それは、すべての人々に祝福を与えようとしている、神様のご計画によることです。アブラムの旅立ちは、全人類の救いへの第一歩でした。そういう意味で、このアブラムの旅立ちから、「救いの歴史」が始まったのです。

このことを私たちにあてはめて言うならば、私たちが神様を信じて信仰の旅へと旅立つ時、それはただ私たちの祝福、喜び、平安のためだけではありません。私たちを通して、神様はさらに多くの人々に祝福を与えようとしておられるのです。信仰によって旅立つ者は、神様の祝福を広め、伝えるために選ばれ、立てられている者でもあるのです。

                    

牧師 藤 掛 順 一
[1999年5月31日〜6月13日]

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