富山鹿島町教会
(45)←「救いの歴史」→(47)

テレホンメッセージ

「救いの歴史」(46)

 創世記第37章以下の、ヨセフの物語についてお話ししてきましたが、今回をもってしめくくりとしたいと思います。

 ヨセフは、兄たちにの嫉妬によってエジプトに奴隷として売られましたが、神様の不思議な導きによって、エジプトの大臣になりました。それは、父ヤコブとその家族の全体を、7年間続く大飢饉から救い、エジプトで生き延びさせて下さる、神様のご計画によることでした。ヨセフは自分が受けた大きな苦しみが、神様の救いのご計画の一環であったことを体験したのです。私たちの目には苦しみ、不幸のどん底としか思えないような事態を通して、神様の救いの歴史が前進していくのです。またそれは、神様が人間の罪をも用いて救いのみ業を前進させてくださるということでもあります。兄弟であるヨセフを奴隷として売ってしまったのは兄たちのとんでもない罪です。しかしまた、兄たちの嫉妬をかうようなふるまいがヨセフにあったことも確かです。ヨセフも決して罪のない人間ではないのです。人間の歩みは、このように、お互いに様々な罪を持った者たちのぶつかり合いです。それによって、いろいろな悲しいこと、悲惨なことが起こってきます。この世は、ヨセフが体験したような苦しみ悲しみに満ちていると言えるでしょう。けれども、そのような罪に満ちた人間の営みの中で、神様の救いの歴史が前進していくのです。神様は、人間の罪と、それによって起ってくる様々な苦しみ、悲しみをも、ご自身のご計画の中で用いていかれるのです。人間の罪やこの世の悲惨、それらも、この神様の大きなみ手の中に置かれているのです。

 ヨセフは兄たちに、「わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」と言いました。彼は、兄たちに復讐をすることもできたのです。しかし彼は復讐ではなく、兄たちとの和解の道を歩むことができました。彼がそうすることができたのは、自分の苦しみ悲しみが神様の恵みのみ手の内にあったことを知ったからです。人間の罪と、それによって起ってくる苦しみ悲しみが、人間の思いを超えた神様の恵みのみ手の中にあることを信じることができた者は、このように生きることができるのです。 ヨセフは父ヤコブと兄弟たち全員をエジプトに呼び寄せ、彼らはエジプトに住むようになりました。イスラエルの民はエジプトで、大きく増え広がっていったのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2001年2月5日〜2月18日]

メッセージ へもどる。

(45)←「救いの歴史」→(47)