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テレホンメッセージ「聖書の人間理解」(55)旧約聖書、創世記の第11章にある「バベルの塔」の物語にを読みながら、聖書の人間理解についてお話ししています。バベルの塔の物語は、次第に文明が進み、高い技術を獲得していった人間たちが、天に届くような高い塔を建てようとする、という話です。その塔を建てる時に彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言いました。そこに、この塔を建てる目的が二つ語られています。一つは、「有名になろう」ということです。他の翻訳では「名をあげて」と訳されています。自らの名を天にまで高める、ということが、この塔の建設の第一の目的だったのです。天というのは、神様の住む所です。ですからこれは、人間が、神のように、神と肩を並べるぐらいに名を高くあげようとした、ということです。創世記第3章にある人間の最初の罪を思い起こさせられます。人間の最初の罪は、神のようになろうとすることでした。ここでもそれと同じことが行われているのです。人間は基本的に、神の下にあることにあきたらず、神と肩を並べ、自分が神のようになろうとするものだ、そこに人間の罪の根本がある、ということをこの話も語り示しているのです。 バベルの塔建設の第二の理由は、「全地に散らされることのないようにしよう」ということでした。散り散りばらばらになってしまわないように、という意味では、これはもっともな願いであるようにも思えます。しかし、この願いは、神様が人間を造られた時に、人間を祝福して、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」と言われたそのみ心に反する願いです。つまり神様は、人間が次第に増えていって、全世界に満ちていくことを願っておられるのです。ところが人間は、その神様の祝福のみ心を理解せずに、今自分のいる所、自分の気に入った場所にいつまでも留まっていようとする、そういう願いがバベルの塔の建設という形で現れているのです。つまりこの話は、神様のみ心よりも自分の願いや考えを第一とし、その実現のために持っている力を総動員しようとする、そういう人間の姿を描いていると言うことができます。バベルの塔はそのような人間の罪や欲望の象徴なのです。それに対して神様はどうなさるか、それを次回に見ていきたいと思います。
牧師 藤 掛 順 一 |
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