富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(54)

 旧約聖書の最初の書物、創世記を読みながら、「聖書の人間理解」についてにお話ししています。今回からは、その第11章にある「バベルの塔」の物語についてお話しします。それは、人々が、天に届くような高い塔を建てようとする、という話です。創世記11章の1〜4節を読んでみます。
 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

 ここに、この話のいくつかのポイントが示されています。第一は、「世界中は同じ言葉を使い、同じように話していた」ということです。世界中の人々が、もともとは一つの言語を使っていた、世界の人々の間に、そういう一致、統一性があったということが語られているのです。それが今では、沢山の言語に分かれ、通訳がいなければお互いに話が通じなくなっている。また、外国語の勉強に頭を悩ませなければならなくなっている。どうしてそうなったのか、それをこのバベルの塔の物語は語っているのです。

 第二のポイントは、彼らが、「石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを得た」と語られていることです。それによって、天に届くような塔を建設することができるようになったのです。ここには、人間の技術の進歩発展ということが見つめられています。技術革新によって、それまでできなかったようなことができるようになっていく、人間の歩みというのは、そのようにして進んできたのです。それは今日のハイ・テクにまでつながる歩みです。そのような技術革新は、人間に与えられているすばらしい能力であると言うことができます。問題は、その能力をどのように用いるか、です。人間は、自分に与えられている能力、技術、力をどのように、何のために用いるべきであるか、ということが、この話において問われているのです。

牧師 藤 掛 順 一

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