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テレホンメッセージ「聖書の人間理解」(53)旧約聖書の最初の書物、創世記を読みながら、「聖書の人間理解」についてにお話ししています。前回まで、第6章から第9章の、「ノアの箱舟」についてお話してきました。大洪水で全世界の人々が滅ぼされてしまい、箱舟に乗ったノアとその家族だけが救われた、そして洪水の後、そのノアの子孫がまた全世界に広がっていった、ということが語られているわけですが、それは歴史的事実としてはあり得ないことです。しかしそういうことを気にしていたら、聖書を正しく読むことはできません。聖書は、人類の歩みを歴史的に解明しようとしている本ではないのです。特に、創世記の1章から11章にかけての部分は、歴史ではなくて、聖書がこの世界と人間の本質を、どのようなものとして理解しているかという、いわば聖書全体の前提となる事柄を語っている所なのです。そのために、いろいろな物語が用いられています。「ノアの箱舟」の物語もそういうものの一つなのです。ですから、このようなことがいつあったのか、あるはなかったのか、ということには意味がありません。人々の記憶に長く残るような大洪水が、古代の中近東であったらしいということは、他の文献からもわかります。そういう記憶からこのような物語が造り出されたのです。その語っていることは、人間の罪に対する神の怒りと、しかし最終的には、罪のゆえに二度と人間を滅ぼし尽くすことはしないと神が誓われた、ということです。この世界と人間の歩みは、本来は神によって滅ぼし尽くされても仕方がないような罪に満ちている、しかし神はそれを忍耐して、世界と人間とを支え、守っていて下さる、人間はそういう神の恵みに応えて生きるべきものだ、ということを、この話は語っているのです。 さて、次にご一緒に読んでいきたい物語は、創世記第11章の「バベルの塔」の話です。この話も、古代のバビロニアにおける話をもとにして造られたものです。塔と言うと私たちは「東京タワー」のようなものを思い浮かべてしまいますが、むしろ大きな建物、城でしょう。バビロニアの王が、それまでどこにもなかったような大きな、高い城を築こうとした、そこに、人間の高ぶり、神のようになろうとする傲慢を見て、このような話が生まれたのです。この「バベルの塔」の物語について、次回お話ししていきたいと思います。
牧師 藤 掛 順 一 |
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