富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(46)

 旧約聖書創世記第6章の、「ノアの箱舟」の話を読みながら、聖書の人間理解についてお話ししています。

 「ノアの箱舟」の物語、即ち洪水の物語は、このように始まります。6章5〜6節です。
 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
 人間の悪がふくれあがり、その心に罪が満ちている、そういう状態を神様がご覧になった、ということから、洪水の話が始まるのです。それは、創世記の1章31節に語られていたことと対照的です。そこにはこのようにありました。
 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。
 神様がこの世界と人間とをお造りになった時、それは神様の目に、極めて良いものだったのです。しかし、人間は神様に背いて罪を犯しました。その罪によって、人間は、そしてこの世界は、神様がそれをお造りになったことを後悔し、心を痛められるようなものになってしまったのです。

 神様が、人間を造ったことを後悔する、というのを読むと、私たちは、そんなの神様としては失格ではないか、後悔するくらいなら最初からそんなことをしなければよいのだ、などと思うかもしれません。しかしまさにそこに、聖書の語る神様の特質があります。私たちが考えて神様を造り出すならば、もっと完璧な、後悔などしない神様を描き出すでしょう。しかし、聖書が語る神様は、後悔する神です。それは、神様が人間と、本当に真剣にかかわり合おうとしておられる、そのかかわりによって自分が傷つくことをも厭わない方である、ということです。後悔するということには複雑な思いが込められています。それは単なる怒りではありません。相手への愛、期待、相手を惜しむ思いがそこにはあります。この洪水の物語は、神様が人間の悪、罪を見て、ああこれは失敗作だ、これを滅ぼしてもう一度造り直そうと決心した、という単純な話ではないのです。神様は人間を愛しておられる。それゆえにこそその人間の罪に対してお怒りになる。けれどもその人間を滅ぼし尽くしてしまうのではなく、ノアとその家族を箱舟に乗せて救い、そこからもう一度新しく人間との関係を結んでいこうとなさる。この物語はそのような神様のみ心を描き出しているのです。

牧師 藤 掛 順 一

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