富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(47)

 旧約聖書創世記第6章の、「ノアの箱舟」の話を読みながら、聖書の人間理解についてお話ししています。

 「ノアの箱舟」の物語は、神様が、人間の悪のふくれあがりをご覧になって、人間を造ったことを後悔された、ということから始まっています。それで神様はこう決意されたのです。6章7節です。
わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。

 この神様のご決意によって、大洪水が起こり、全ての生き物が滅ぼされてしまうわけです。しかしそこには一つの疑問が生じるのではないでしょうか。それは、神様は人間の悪を見て、人間を造ったことを後悔されたのだから、人間だけをぬぐい去ればよいのではないか、家畜や這うもの、空の鳥などまで滅ぼすことはないのではないか、ということです。けれどもまさにそこに、聖書の人間理解の大事なポイントが示されていると言うことができます。聖書においては、人間は、動物たちの中の一つの種類ではないのです。勿論、人間も他の動物たちも全て神様に造られたもの、被造物であるという点では一緒です。しかし人間は、被造物の中で、他の被造物を、神様のみ心に従って管理し、支配するべき者として造られている、というのが、創世記1章28節に語られていた聖書の人間理解です。それゆえに、支配者、管理者である人間には、この世界に対する責任があるのです。人間が管理の仕方を間違えると、他の動物たちをも含めたこの世界全体がおかしくなってしまうのです。そういう意味で、人間の悪は人間だけの問題では終わりません。人間の悪によってこの世界全体が、神様がそれを造ったことを後悔せざるを得ないものになってしまうのです。だから神様は、人間だけではなくて、全ての動物たちも共に地上からぬぐい去ろうとなさるのです。

 このような人間理解は、人間の傲慢のように思われるかもしれません。しかしこれはむしろ、人間の、この世界、全ての被造物に対する重大な責任を教え、他の被造物のことを自分の問題として考えることを教えているのです。

牧師 藤 掛 順 一

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