富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(40)

 旧約聖書創世記第4章の「カインとアベル」の物語を通して、「聖書の人間理解」についてお話ししています。カインは、神様が弟アベルの献げ物を受け入れたのに、自分の献げ物を受け入れてくれなかったために、神様に向かって腹を立て、顔を伏せた、つまり、神様から顔を背けてしまった、ということを見てきました。前にも申しましたが、カインの捧げたものが、アベルの捧げたものよりも劣っていた、ということはどこにも書かれていないのです。つまり、カインにとってこれは、理由のわからない差別でした。神はどうして自分をこんな目に合わせるのか、同じように生きているのに、あの人は恵まれ、自分は不幸に陥るのは何故か。それは、私たちがこの世の人生の中でしばしば直面する答えのない謎であると言えるでしょう。カインはこの謎に直面して、怒り、神様から顔を背けたのです。

 その結果、カインは弟アベルを殺してしまいました。ここに、人類最初の殺人の罪が犯されたのです。この物語は、いろいろなことを示しています。創世記は第3章で、人間が最初に罪を犯したことを語っています。それは、神様の言い付けを破り、食べてはいけないと言われていた木の実を食べてしまった、ということでした。それは一見、まことにささいなことのように思えます。しかし、この罪、神様のみ言葉に従わず、自分が主人になって生きようとする罪が、次の第4章では直ちに、殺人の罪へとつながっていくのです。神様に背き、神様から顔を背けた人間は、直ちに人殺しをする者となっていく、ということを聖書は厳しく見つめているのです。

 また、カインの殺人は、兄弟殺しです。赤の他人をではなく、自分の兄弟を殺したのです。そこにも、聖書が人間の罪の現実を見つめる鋭い目があります。人間は、本来共に生きるべき兄弟を殺す者だ、ということです。遠くにいる他人をではなく、身近なところで、共に生きている相手をこそ殺してしまう、私たちはそういう罪を日々犯しているのではないでしょうか。また、カインの弟殺しの動機は、嫉妬です。人が自分よりもよい目を見ている、という腹立たしさです。そういう嫉妬が人を殺す思いを生む。それは、実際に殺人を犯さなくても、私たちの心にしばしばわきあがってくる思いなのではないでしょうか。私たちはこのようなカインの罪の思いを受け継いでいる「カインの末裔」なのです。

牧師 藤 掛 順 一

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