富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(39)

 「聖書の人間理解」というテーマで、旧約聖書創世記第4章の「カインとアベル」の物語についてお話ししています。カインとアベルは兄弟でしたが、神様は、アベルの献げ物を受け入れたが、カインの献げ物は受け入れなかった、そのことの意味について前回お話ししました。それは、私たちの人生に必ず存在する、理由のわからない、不公平、謎を表しているのです。誠実に努力していけば必ず酬われるとは限らない、いわれのない苦しみ、不幸に遭うことがある、善人が苦しみ、悪人が栄えるようなことがある。カインはまさにそういう人生の謎に直面したのです。この謎の前で、カインは「激しく怒って顔を伏せた」と4章5節にあります。その怒りはもっともだと私たちは思います。私たちも、人生においてこのような不公平に直面する時に、怒るでしょう。「顔を伏せた」とあることに注目したいと思います。顔を伏せるというのは、下を向いてしまうことです。天を仰ぐことをやめることです。つまりカインは、神様から顔を背けたのです。人生の謎、いわれのない不公平の現実の前で、人は神様に対して怒り、神様から顔を背けてしまうのです。

 そのカインに対して、神はこう言われました。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」。正しいことをしているなら、堂々と顔を上げて私の方を見よ、正しくないなら、罪がお前を餌食にしようとすぐそばで待ち伏せているぞ、と神は言われるのです。これは、カインがもともと正しい者かそうでないかということではなくて、今お前は正しい道と正しくない道の分かれ目に立っている、ということです。人生の謎、いわれのない不公平という苦しみの現実に直面する時、人は人生の岐路に立っている。そこで、堂々と顔を上げて神を見つめつつ生きるか、それとも顔を伏せ、神から顔を背けて罪のとりこになっていくか、その二つの道が今おまえの前にある。お前はどちらを歩むのか、と神は問うておられるのです。「罪が戸口で待ち伏せているから、それを支配せねばならない」、つまり、罪に陥っていこうとする自分をしっかりコントロールして、道を誤らないようにしなければならない、ということです。人生には謎がある、不可解な、いわれのない苦しみに陥ることがある、その時こそ、人生の真価が問われる時なのです。

牧師 藤 掛 順 一

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