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テレホンメッセージ「聖書の人間理解」(31)旧約聖書創世記第3章を読みながら、「聖書の人間理解」についてお話しています。創世記第3章は、人間の罪の問題を語っています。最初の人間アダムとエバが、蛇の誘惑によって、神様の命令を破って食べてはならないと言われていた木の実を食べてしまった、その罪によって、神様と人間との関係が破れ、それと同時に人間どうしの関係も破れてしまった、ということをこれまでに見てきました。神様はこの罪に対して、蛇に、女に、そして男に、ある罰を与えられたということが、14節以下に語られていきます。まず蛇に対して、神様はこう言われました。「このようなことをしたお前は、あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は生涯這いまわり、塵を食らう。」蛇が地を這い回る気味の悪い姿をしているのは、神様の罰によるのだ、と昔の人は考えたのでしょう。大事なのはその後の言葉です。「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」。女の子孫と蛇の子孫とが戦っていくというのです。古来教会はこの箇所を、人間の子孫に生まれる救い主イエス・キリストの預言の言葉として読んできました。女の子孫の「彼」とはイエス・キリストのことである。そのイエス・キリストが、人間を誘惑して罪に陥れた蛇と戦い、その頭を砕く、つまり罪の力、悪の力を打ち破って人間を罪から救うのです。そのような救いの約束がここに与えられている。しかしそのときに、蛇は彼のかかとを砕く。つまり罪の力もキリストにかみつき、傷を負わせるのです。それはキリストの十字架の死を表しています。キリストは、罪の力を打ち破り、人間を罪から救うために、自らが傷を負い、死んで下さったのです。その十字架の死によって、私たちの罪は赦され、神様との関係が回復された。そのことが、既にこの蛇に対する神様のみ言葉の中に込められているのです。神様は人間の罪を見過ごしになさる方ではありません。罪は裁かれ、罰せられなければならないのです。しかしその罰を与える神様は同時に、恵みと慈しみに満ちた方であり、豊かな赦しのみ心を持っておられる方なのです。
牧師 藤 掛 順 一 |
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