(31)←「聖書の人間理解」→(33) |
テレホンメッセージ「聖書の人間理解」(32)
旧約聖書創世記第3章を読みながら、「聖書の人間理解」についてお話しています。最初の人間アダムとエバが、神様の命令を破って食べてはならないと言われていた木の実を食べてしまった、その罪に対して神様がある罰を与えられたということが、3章14節以下に語られています。今回は、15節、女に対して与えられた罰を読んでみます。こう語られています。 蛇の誘惑を受けて、最初に禁断の木の実を食べてしまった女性には、二つのことが罰として与えられているのです。一つは、出産の苦しみです。子供を産むことが、女性にとって大きな苦しみを伴うことは、昔も今も変わりはありません。古代においてはそれは、今よりももっと危険を伴うことだったでしょう。そういう出産の苦しみは、神様に背いた罪に対する罰として与えられたものなのだ、と考えられているのです。 第二の罰は、「お前は男を求め、彼はお前を支配する」ということです。つまり、女性が男性なしでは生きていけない、男性に従属して生きることを、女性の方からも求めてしまう、ということです。これは、聖書が書かれた当時の社会の男女関係の姿を反映しているものであり、それは今日の私たちの社会においても、ずいぶん変化しつつも基本的に残っている姿であると言えるでしょう。そして勘違いしてはいけないのは、聖書がこのような男女関係を肯定し、つまり男尊女卑の思想を主張しているわけではない、ということです。これは、人間の罪に対する罰としての事態です。つまり、神様がお造りになった男性と女性との本来の関係ではありません。その祝福から落ちてしまった姿です。神に背き、自分が神になりかわって生きようとしたところに、このような歪んだ、不幸な人間関係、男女関係が生まれてきたのです。そのしわ寄せとしての苦しみは主に女性にふりかかっている、それは歴史の証明するところでしょう。そしてもう一つ、これらの罰は、単なるバチとは違うということも覚えておくべきでしょう。出産はそれ自体は希望と喜びある事柄です。また男女の関係も、本来の祝福された関係の回復への希望のある事柄です。人間の罪は私たちの歩みに様々な苦しみをもたらしているけれども、神様はそこに希望をも与えて下さっているのです。
牧師 藤 掛 順 一 |
(31)←「聖書の人間理解」→(33) |