富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(27)

 旧約聖書創世記第3章を読みながら、「聖書の人間理解」についてお話しています。最初の人間アダムとエバが、神様が食べてはいけないと言っておられた木の実を食べてしまった。すると彼らは、自分たちが裸であることに気付き、腰を覆うものを作った、つまり「隠す」ということが始まったということを前回お話しました。前回も申しましたように、「隠す」というのは、関係が破れ始めていることの現れです。人間が神様に背いたために、人間と神様との関係に、破れが生じているのです。

 けれども、「腰を覆うものを造った」ということによって示されていることはそれだけではありません。それは、彼ら人間どうし、男と女、夫婦の関係に破れが入ったということでもあるのです。「腰を覆うものを作った」のは、他人に自分の体を見られることを恥ずかしいと思ったからではありません。彼らは最初の人間なのですから、周りに他の人々がいるわけではないのです。ですからこれは、「誰かに見られたら恥ずかしい」ということではなくて、お互いどうしの間で、夫婦の間で、「少なくともこの部分は隠さなければ」ということが起こってきた、ということです。それまで、彼らは共に裸だった、それが何の問題でもなかったのです。しかし神様に背いてあの木の実を食べてしまったとたんに、夫婦の間でも、「隠す」ということが始まったのです。それはつまり、男と女、夫婦の関係に亀裂が入ったということです。「腰を覆うものを作った」というのは、そういうことを意味し、表しているのです。

 そのことが、その先を読み進めて行くとさらにはっきりとしてきます。神様がアダムに「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか」と問われると、アダムは「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」と言います。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女」これがいったい、自分の妻に対する言い方でしょうか。まるで関係のない、赤の他人のような冷たい言葉です。アダムと妻エバの関係は、このように破れてしまっているのです。

牧師 藤 掛 順 一

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