富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(27)

このテレホン・メッセージでは、「救いの歴史」と題して、旧約聖書についてのお話しをしています。今お話ししているのは、創世記25章から27章の、エサウとヤコブという双子の兄弟の物語です。ヤコブは兄エサウから、長男としての権利を譲り受け、さらに父親イサクを騙して、長男に与えられるべき祝福を受けてしまいました。アブラハムからイサクに継承されてきた神様の祝福は、兄エサウではなくて弟ヤコブに継承されていくことになったのです。

私たちはここに、ヤコブのずる賢さや、エサウの軽率さを見ます。しかし聖書は、彼らが生まれる前から、神様がこのことを予告しておられたと語っています。つまりこのことが起こったのは、神様のご意志、ご計画によってだったのです。聖書がこのことによって見つめているのは、人間がいろいろと考え、計画し、だましたりだまされたりしながら、自分の道を切り開いていこうとする、それら全ての人間の営みが、実は神様のご計画の中に置かれており、それらを貫いて神様の救いの歴史が進んでいく、ということです。人間の全ての営みは、より大きな神様のみ手の中にあるのです。

けれども、この物語が語っていることはそれだけではありません。エサウとヤコブという双子の兄弟がいて、兄エサウではなく弟ヤコブが、神様によって祝福の後継者とされたのです。つまりここには、ヤコブが選ばれ、エサウは選ばれなかったという、神様による選びが語られているのです。神様は、ある人を選び、ある人を選ばないということがある、ということです。このことは、人生の大きな謎と関わっています。私たちは、人間は皆平等だ、ということを教えられています。そうでなければならないと思っています。けれども、人間は本当に平等に造られているでしょうか。むしろ、一人として同じ人などいないのが人間の現実です。そして一人一人、持って生まれた肉体的条件や、様々な事柄に対する能力、また生まれ育った環境も、みんな違っているのです。つまりそれぞれに与えられている能力や環境は決して平等ではないのです。何故そうなのか。例えばあの人にはあんな能力があるのに、何故自分にはないのか。それは人生の大きな謎です。それは神様がそうなさっているとしか言いようがないのです。「神の選び」ということはそういうことに関わっています。そのことについて、次回以降さらに考えていきたいと思います。

牧師 藤 掛 順 一
[2000年4月24日〜5月7日]

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