富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(26)

イサクの双子の息子たち、エサウとヤコブの物語を続けます。弟ヤコブは、おなかをすかしていた兄エサウから、1杯のレンズ豆の煮物と引き換えに長男としての権利を譲り受け、さらに父イサクをだまして、兄になりすまし、長男に与えられるべき祝福を受けてしまいました。長男に与えられる祝福は一つ限りです。エサウが後から祝福を受けに行きますが、イサクはもう祝福を与えてしまっており、エサウに与えるものは残っていなかったのです。ヤコブは生まれてくる時にもエサウのかかとをつかんでいたために、かかと(アケブ)という言葉からヤコブと名付けられたのですが、まさにその名の通り、エサウの足を引っ張り、彼を長男の座からひきずり降ろして、自分がその地位に座ってしまったのです。このことによって、アブラハムからイサクに継承されてきた神様の祝福は、エサウではなくてヤコブに継承されていくことになったのです。

私たちはこの話を読むと、兄エサウがかわいそうだ、ヤコブという奴は何とずる賢こい、いやな奴だろうか、と思います。あるいは、1杯のレンズ豆の煮物と引き換えに長子の権利を譲ってしまったエサウが軽率だったとも言えるかもしれません。ところが聖書は、このように兄と弟が逆転することは、彼らが生まれる前から、神様によって予告されていたのだ、と語っているのです。前にも読みましたが、創世記25章23節に、彼らがまだ母親リベカの胎内にいる時に、神様が告げられた次のような言葉が記されています。
「二つの国民があなたの胎内に宿っており、二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり、兄が弟に仕えるようになる」
彼らが生まれ出る前に、既に神様がこのように言っておられたのです。ということは、この兄と弟の立場の逆転は、神様のご計画だったということです。神様は、最初から、イサクの後継者としてヤコブを選んでおられたのです。ヤコブがイサクの後継者となったのは、ヤコブがずる賢こかったからでも、エサウが軽率だったからでもありません。神様のご意志なのです。ヤコブのずる賢こさも、エサウの軽率さも、神様のご計画の実現のために用いられたに過ぎないのです。これは不思議な、そして不可解な話です。このことの意味について、次回以降さらに考えていきたいと思いますが、基本的に言えることは、人間のいろいろな性格、欲望、罪、それらのことを貫いて、神様のご意志、ご計画が実現していく、ということです。

牧師 藤 掛 順 一
[2000年4月3日〜4月16日]

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