富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(25)

アブラハムの子イサクの双子の息子たち、エサウとヤコブの物語を読み進めていきたいと思います。前回は、創世記25章に語られていること、エサウが、おなかがすいていたために、一杯の煮物と引き換えに、自分の長子の権利をヤコブに売り渡してしまったこと、つまりエサウが長子としての特権を軽んじたことをお話ししました。イスラエルの人々においても、長男の地位というのは特別だったのです。神様の祝福が、父から長男へと継承されていくと考えられていたのです。ところがエサウは、自分が長男であるということの持つ重大な意味をきちんと理解していませんでした。「そんなものはどうでもよい」と言って、弟ヤコブに譲り渡してしまったのです。

もっともこれは、エサウが、じぶんが長男であるという事実は、こんな口約束で消えてしまうようなものではない、と考えていたということでもあります。長男としての権利は、取引によって譲ったり買い取ったりすることのできるものではないのです。父イサクにとっては、長男はやはりエサウなのです。イサクは年をとり、もう自分は長くないと悟った時に、自分が父アブラハムから受け継いだ神様の祝福を、エサウに与えようとします。そのことが創世記27章に語られています。ある日イサクはエサウに、狩に行って私の好きな獲物を取ってきて、おいしい料理を食べさせて欲しい、それを食べておまえを祝福しよう、と言います。イサクは、巧みな狩人であるエサウがお気に入りだったのです。

ところが、イサクの妻、エサウとヤコブの母であるリベカは、弟ヤコブの方を愛していました。彼女は、イサクがエサウに言ったことを聞いており、ヤコブとある計略を立てます。それは、エサウが狩りに行っている間に、家で飼っている家畜によって料理を作り、ヤコブがそれをイサクに食べさせて、エサウの代わりに祝福を受けてしまおうということでした。イサクはもう目がかすんで見えなくなっていたので、息子の顔を見分けることはできないからです。しかし、エサウは毛深い人であったのに対して、ヤコブはそうではありませんでした。目は見えなくても、手で触ればそれがエサウでないことがばれてしまいます。そこでリベカは、子山羊の毛皮をヤコブの腕や首に巻きつけて変装させます。ヤコブはこのようにして兄エサウになりすまし、イサクの祝福を受けてしまったのです。ヤコブはついに完全に、長男の特権、神様の祝福を、兄から奪い取ってしまったのでした。

牧師 藤 掛 順 一
[2000年3月20日〜4月4日]

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