富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(22)

「救いの歴史」と題して、旧約聖書創世記についてのお話しをシリーズでしています。このシリーズは今回で22回となります。毎回のお話しのプリントが用意されていますので、富山鹿島町教会(076-421-1610)までお電話をいただければ、ご希望のものをお送りします。

さて、大分長い間、創世記22章についてのお話しをしてきましたが、ようやく先に進みます。第23章です。ここには、アブラハムの妻サラが死んだことが語られています。アブラハムは妻の死を心から嘆き悲しみました。そして、妻の遺体を葬る墓を手に入れようとしたのです。アブラハムは神様から、今住んでいるカナンの地をあなたと子孫に与えるという約束をいただいていました。しかしその約束はまだ実現してはおらず、彼は寄留者、旅人として、この地をあちこち動き回りつつ暮らしていたのです。妻が死んだのは彼がヘブロンという所に滞在している時でした。そこでアブラハムは、その地の人にこう言って頼んだのです。

「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです」 この地の人たちは彼の願いを好意的に受け入れ、墓地にするほら穴のある土地をただで譲ってくれると言いました。しかしアブラハムはその土地の正当な値段を支払い、そこを買い取って妻の墓地としたのです。

これは何でもない話のようですが、案外大事なことを語っていると思います。アブラハムは神様がおまえに与えると約束された地に住んでいます。その約束を信じているからこそここにいるのです。しかし今はそれは他人のもので、彼は寄留者に過ぎません。神様の約束を信じるなら、いつか自分のものとなる土地のためにお金を払うことは無駄であるように思えます。ただでくれるというならもらっておけばよいのにとも思います。しかし彼は、神様の約束を信じつつも、今は寄留者であるという現実を大事にし、寄留者として責任ある行動をとるのです。神様の約束を信じて生きると同時に、この世の現実においてきちんと責任ある関わり方をする、そこに、神様を信じてこの世を生きる者のあるべき姿が示されていると言うことができるでしょう。

牧師 藤 掛 順 一
[2000年2月7日〜2000年2月20日]

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