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テレホンメッセージ「救いの歴史」(21)旧約聖書創世記第22章の、神様がアブラハムに、息子イサクを犠牲として献げるようにお命じになったという物語についてお話ししています。アブラハムは、黙って神様のお命じになった通りに息子を犠牲として献げようとしたのです。しかし神様は実は前もって、イサクに代わって献げるべき雄羊を備えていて下さいました。この話は、新約聖書に語られているイエス・キリストによる救いと関係する、ということをお話ししてきました。今回はそのことを別の角度から見てみたいと思います。
新約聖書のヘブライ人への手紙第11章17節以下に、この物語のことがとりあげられています。そこではこの話は次のように理解されているのです。 ここでは、アブラハムが、神様の約束を担う独り息子イサクを献げようとしたのは、神様が死者を復活させて下さることを信じたからだ、と語られています。私たちは、独り息子を殺して献げよと命じる神様はひどい、と思いますし、それを黙ってその通りにしようとするアブラハムの気持ちが理解できない、とも思います。しかし、ヘブライ人への手紙の著者は、ここに、神様による死者の復活を信じる信仰を見ているのです。そしてそれは、新約聖書の語る、主イエス・キリストの死者の中からの復活の出来事から来ている信仰です。父なる神様が独り子イエス・キリストを死者の中から復活させて下さった、そのことを信じる信仰からこの話を読むときに、アブラハムのこのような信仰も見えてくるのです。 この出来事の後、神様は、アブラハムの子孫によって、地上の全ての人々が神様の祝福を受ける、という約束をもう一度確認して下さいました。そのアブラハムの子孫とは、主イエス・キリストのことなのです。
牧師 藤 掛 順 一 |
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