富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(15)

99歳と90歳にもなって子供がなかったアブラムとサライの夫婦に、神様は、アブラハムとサラという新しい名前を与え、彼らに子供を与え、多くの国民の父母とするという約束をなさいました。しかしアブラハムは、神様の約束を真に受けずに心の中でそれを笑いました。サラも同じだったことが創世記18章9節以下に語られています。

彼ら(神様の使い)はアブラハムに尋ねた。「あなたの妻のサラはどこにいますか。」「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「わたしは笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」

このように、アブラハムもサラも共に、神様の約束をとうてい実現不可能なこととして心の中で笑いました。そこには、どんな状況の中でも神様を信じ通すという信仰の勇者の姿はありません。しかし神の使いの言った通り、翌年、サラに男の子が生まれたのです。彼は息子にイサクという名をつけました。その名前の意味は創世記21章6節に示されています。
 サラは言った。「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」

イサクとは「笑い」という意味です。神様の約束を信じることができずに皮肉に笑ったアブラハムとサラに、神様は、人間の常識では全く不可能なことを可能にする力で、本当の笑い、ほがらなか喜びの笑いを与えて下さったのです。アブラハムはこうして、イスラエルの民の最初の先祖となりました。それは彼の立派な信仰によるのではなく、彼の不信仰な笑いを感謝と喜びの笑いに変えて下さった神様の恵みによるのです。

    

牧師 藤 掛 順 一
[1999年10月17日〜10月31日]

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