富山鹿島町教会
(13)←「救いの歴史」→(15)

テレホンメッセージ

「救いの歴史」(14)

イスラエルの民の最初の先祖となったアブラムとサライの夫婦は、神様から、「あなたの子孫は星の数のように多くなる」という約束を与えられていました。しかし彼らには子供がおらず、二人とももう年を取っていました。サライは、自分の女奴隷ハガルをアブラムに与えて彼女によって子供を得ようとします。そうして生まれたのがイシュマエルという子供でした。しかしハガルが、子供を生んだのをよいことにサライを苦しめたので、彼らはハガルとその子を追い出します。神様はあくまでもアブラムとサライの間に生まれる子を祝福の後継者としようとしておられたのです。しかしハガルとイシュマエルをも神様は憐れみ、守って下さって、イスラエルとは別の民族がイシュマエルから起こったと語られています。

さて、アブラムが99歳、サライが90歳になった時、神様はアブラムに現れてこう言われました。創世記17章4節以下です。
「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。」また、サライについても神様はこう言われました。「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。」
このように、アブラムとサライは、神様から、アブラハムとサラという名前を与えられました。この名前は、神様が彼らの神となって下さり、彼らを多くの国民の父母として下さるという神様の約束、契約を表す名前です。アブラハムとサラは、神様の契約の相手として立てられたのです。

ところがアブラハムは、神様の約束を真に受けませんでした。「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。『百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。』」彼は、神様の約束を、もはやあり得ないこととして笑ったのです。この笑いは、喜びに満ちた明るい笑いではありません。「いくら神様でもそんなことができるはずはない」という皮肉な、ゆがんだ笑いです。アブラハムは神様の約束のみ言葉に対して、表面的にはひれ伏しながら、心の中ではそんな皮肉な笑いを抱いていたのです。

牧師 藤 掛 順 一
[1999年10月3日〜10月17日]

メッセージ へもどる。

(13)←「救いの歴史」→(15)