富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(13)

イスラエルの民の最初の先祖となったアブラムは、神様から、あなたを大いなる国民にする、という約束をいただいて、行く先を知らずに旅立ちました。旅立った時彼は75歳、それから何年もの月日が流れましたが、彼と妻サライの間には、一人の子供も与えられていませんでした。人間の常識からいって、もう子供を生むことができるような年を過ぎてしまっていたのです。しかし神様は繰り返し、「あなたの子孫は星の数のように多くなる」という約束を与えられます。約束の言葉だけで、それはいっこうに実現しません。神様の言葉など、何の役にも立たない、空手形ではないか、と思わずにはいられないような状況だったのです。

それにもかかわらずアブラムは、神様のみ言葉を信じた、そしてそれが神様によって、彼の義、正しさとして認められた、ということを前回お話ししました。そしてその彼の正しさ、信仰深さへの報いとして、ついに子供が与えられた、というのなら、ハッピーエンドの信仰美談となるわけです。ところが聖書はそうは語っていません。あいかわらず子供は生まれない、その中で、彼らは迷走を始めるのです。創世記16章1節以下を読んでみます。

アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった。アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。

現代ならさしずめ、代理母というところでしょうか。彼らは、女奴隷に子供を生ませて、その子を跡継ぎとしようとしたのです。しかしこのことは彼らの家庭に大問題を引き起こします。ハガルは自分がアブラムの子を身ごもったと知るや、主人サライを軽んじ、苦しめるようになったのです。サライも、そしてアブラムも、このことで大きな苦しみを受けました。アブラムたちは、神様の約束の実現を待ち切れずに、自分であれこれ工夫して事をなそうとしてしまったのです。その結果は、このような悲惨なことになるのです。

牧師 藤 掛 順 一
[1999年9月20日〜10月3日]

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