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テレホンメッセージ「救いの歴史」(102)旧約聖書、出エジプト記第20章の「十戒」についてのお話をしています。今はその第六の戒め、「殺してはならない」についてです。
前回は、この戒めが、ただ殺人を禁じているのみではなくて、人を憎んだり、侮辱したり、傷つけたりすることから私たちを遠ざけようとしているのだということをお話ししました。キリスト教信仰を学ぶ上での大事なテキストの一つである「ハイデルベルク信仰問答」には、この第六の戒めについて、このような問答があります。 ここに語られているのは、人を憎んで傷つけることをしない、ということだけではありません。憎まないというよりもむしろ愛すること、人に対して、忍耐と平和と柔和と慈悲と友情とを示すこと、そして敵に対しても、善を行なっていくことです。「殺してはならない」という戒めによって神様はそういうことを私たちに求めておられるのです。 このことは、聖書の教えるキリスト教信仰の基本的性格を示しているとも言えます。マタイによる福音書第7章12節には、イエス・キリストの次のような教えがあります。 「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」 自分が人からしてもらいたいと願うこと、親切、慈悲、愛、それを人に対してしていくことをキリストはお教えになりました。日本にもこれと似た教えがあります。「汝の欲せざるところを人にほどこすなかれ」という教えです。人からされていやだと思うことは人にもするな、ということです。この二つの教えは、同じことを言っているとも言えます。しかし、聖書の教えの基本的特徴は、人に対して積極的に愛の業をしていこうということです。自分がされていやなことは人にしない、というよりも、自分がしてほしいことを人にしていくのです。「殺してはならない」という戒めも、そういう信仰において受け止めていくならば、人を殺さない、憎まない、と言うよりも、人を積極的に愛し、親切にし、その人のためを思って行動することを勧めているということになるのです。
牧師 藤 掛 順 一 |
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