富山鹿島町教会

トップページ最新情報教会案内礼拝メッセージエトセトラリンク集
←戻る 次へ→
.

「ナルニア国物語」について 第12回

2.「カスピアン王子のつのぶえ」(4)

 牧師 藤掛順一


 ルーシィはようやくみんなを起こしてアスランのことを語りました。しかし、ルーシィには見えるのに、他の四人にはアスランが見えません。けれどもルーシィが一人でもアスランのあとについて行くと言うので、仕方なくみんながいっしょに行くことになりました。アスランが先頭に立ち、その後に従うルーシィが一同を導いて、彼らは夜の峡谷へと下っていきました。そこには、昼間あんなに捜しても見つからなかった道があったのです。こうして歩いていくうちに、まずエドマンドが、ついでピーターが、そして最後にスーザンにもようやくアスランの姿が見えました。気が付くと彼らは峡谷を渡り、アスラン塚、石舞台に着いていたのです。これも、象徴的な道行きです。主イエス・キリストのお姿は、誰にでもただちに見える(分かる)ものではありません。しかし、主イエスを見つめ、その後に従っていく先達の姿を見つめて、その後についていくことによって、次第に、主イエス・キリストご自身のお姿が見えてくるのです。
 アスランとの対面は、アスランをなかなか見ることのできなかった者にとって、つまり、アスランのことを証ししたルーシィの言葉に心をなかなか開かなかった者にとっては、恐れを覚えるものでした。特にトランプキンは、アスランに会うのはこれが初めてで、そもそもその存在すら信じていなかったのですから、大変な恐れを覚えました。しかしアスランは彼ら皆を力づけ、ピーターとエドマンドとトランプキンはカスピアンのもとに向かいました。
 女の子たちはアスランのもとに残りました。アスランが夜明けの空へとおたけびをあげると、森の木々がおしよせてきました。それは目を覚ました木の精たちでした。
 一方アスラン塚の中では、カスピアンたちが作戦会議をしていました。小人のニカブリクがこう主張しました。「魔法のつのぶえを吹いたが、助けは現れない。そうとなれば、別の力を呼び出して助けてもらおうではないか」。彼はそこに、二人の不気味な者を連れてきていました。ニカブリクと彼らが呼び出そうとしている別の力とは、あの白い魔女だったのです。彼はこう言います。「おれたちには、力がいる。それも、こちらがわの味方についてくれる力だ。力といえば、魔女がアスランをうちまかして、アスランをしばった上、ちょうどあかりのむこうにころがっているあの石の上で殺した、という話は、きかなかったかね?」「でも、その話では、アスランがふたたびよみがえったというぞ。」とアナグマがするどくいいました。「そうとも、そういっている。」とニカブリクはこたえました。「でも、それからさき、アスランの動きが、ほとんどつたわっていないことに気をつけてくれ。つまりアスランは、いいつたえの中から消えているんだ。ほんとうによみがえったのなら、これはどう説明できるか?つまり、アスランは、よみがえらず、したがって、いいつたえることが何もないから、物語もつたわらない、というのじゃないかね?」
 このニカブリクの言葉はそのまま、主イエスの復活を否定する現代の人々の言葉であると言えるでしょう。「イエスはよみがえったというが、その足跡はすぐに歴史から消えている。四十日後に天に昇ったというのは、そのことを覆い隠すための口実ではないか。結局よみがえりなどなかったのだ。本当によみがえったのなら、イエスの足跡がもっと残っているはずだ」。という議論は私たちをも動揺させるのです。そしてそのように主イエスの復活を否定するところには、神の力、主イエスの力に依り頼むのではなく、別の力に頼ろうとすることが結びついています。彼らは、ナルニアをとこしえの冬に閉じ込めていた白い魔女の力を、つまり悪の力を借りようとするのです。ニカブリクが連れて来た二人は、鬼婆と人オオカミでした。彼らは、悪い魔法を使って魔女をよみがえらせようとしていたのです。
 ここには深いメッセージがあります。まことの神の力、その助けは、しばしばまことに頼りなく、あやふやなものに思えるのです。それは、人間がその力を自由に利用することができないからです。私たちは、神様の力、その救いを信じて待ち望むしかありません。主イエスの復活も、疑えばいくらでも疑えるのです。そのような中で、しかし神を信じ続け、その救いを待ち続けることが私たちの信仰の戦いなのです。それに対して、悪の力は、人間が呼びだして利用することができるものです。アスランを呼びだすことはできないが、魔女はいくらでも呼びだせるのです。何故なら、悪の力は、人間が自分のためにそれ利用することを手ぐすね引いて待っているからです。そこにこそ、悪が存分に力を発揮できる場があるのです。悪の力は最初人間の思い通りにその力を貸してくれるように見えます。それで人間はその力を利用しているつもりになりますが、しかし実は知らないうちにその奴隷となり、がんじがらめに支配されていってしまうのです。まことの神の力は人間が利用できるものではありません。そのかわりにそれは人を奴隷にするのではなく、自由な者として立てる力なのです。
 正体を見破られた鬼婆と人オオカミはカスピアンたちに襲いかかります。そこにピーターたちが加勢に入り、ニカブリクら三人を討ち果たしました。こうしてピーターたちはついにカスピアンと合流することができたのです。
        
←戻る 次へ→