富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(63)

 イスラエルの民が、エジプトで奴隷として苦しめられてたところに、神様がモーセを遣わして奴隷状態からの解放を与えて下さった。エジプトを出て、神様の約束の地に向けて旅立つことができた。その「出エジプト」の物語についてお話してきました。この出エジプトの出来事について、もう一つ知っておかなければならないことがあります。モーセは神様の命令を受けて、アロンと共にエジプトの王ファラオのもとに行き、イスラエルを奴隷から解放するように求めました。その時彼らはこう言ったのです。出エジプト記第5章1節にこうあります。
「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭を行わせなさい』と」
その後モーセたちは何度もファラオと交渉をするわけですが、そのたびに彼らが語ったことは「わたしの民を去らせ、荒れ野でわたしに仕えさせよ」という主なる神様のみ言葉でした。つまり、神様に遣わされたモーセがファラオに要求したことは、ただ奴隷とされているイスラエルの民を解放し、自由にせよということではなかったのです。むしろそこで語られたのは、イスラエルの民はわたしの民だ、だからその民をわたしに仕えさせよという主なる神様の要求であり、具体的には、民を解放して主なる神様のための祭を行わせよ、つまり、イスラエルの民に神様を礼拝するための自由を与えよということだったのです。エジプトの奴隷状態からの解放、それは、自分たちが誰にも支配されずに何でも自由に好きなことができるようになるための解放ではありません。そうではなくて、イスラエルの民の本当の主人である主なる神様に仕える者となるための解放です。エジプト王の、つまり人間の力の支配から、まことの神の支配の下へと、イスラエルの民は解放されたのです。それが出エジプトの出来事でした。

 このことは、聖書全体を貫く大事な主題です。私たち人間は、自由を求めています。奴隷状態からの解放を求めています。その本当の自由は、主なる神様のご支配の下に置かれ、主なる神様を礼拝する者となるところにこそあるのです。主なる神様のご支配の下にいない時、私たちは何らかの人間の力の奴隷となっています。主なる神様に仕える者となることによって、人間の力の支配から解放され、自由になることができるのです。

 その主なる神様は、エジプトを出たイスラエルを、昼は雲の柱、夜は火の柱によって導いて下さいました。奴隷状態から解放された者は、神様の導きの下に置かれるのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2001年10月15日〜10月28日]

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