富山鹿島町教会
(57)←「救いの歴史」→(59)

テレホンメッセージ

「救いの歴史」(58)

 旧約聖書出エジプト記についてのお話をしています。主なる神様に遣わされたモーセとアロンは、エジプトの王ファラオに、奴隷とされているイスラエルの民を解放することを要求しました。しかしファラオは心をかたくなにして、彼らの言うことを聞こうとしません。そこで神様は、エジプトに様々な災いをもたらして、主こそまことの神であられること、その主がイスラエルの人々を解放することを求めておられることをお示しになりました。しかしファラオは、災いに困るとイスラエルの解放を約束するものの、それが過ぎ去ると心を変え、いつまでもそれを認めようとしませんでした。聖書はこのことを、「主がファラオの心をかたくなにされた」ためであると繰り返し語っています。神様ご自身が、ファラオの心をかたくなにし、イスラエルをなかなか去らせようとしないようにされたのです。それは、最後最大の災いをエジプトに下すためであり、それによってイスラエルを解放するためでした。

 その災いとは、エジプトじゅうの初子、つまり最初に生まれた男の子が、人間だけでなく家畜も、全員殺されるというものでした。夜中に、主のみ使いがエジプトじゅうを回って、エジプト人の長男をみな殺しにしたのです。そうなれば、エジプト人のどの家でも、死人の出ない家はありません。王宮でも、ファラオの長男が死にました。エジプト全国に、悲しみの叫びが満ちたのです。しかしイスラエル人の家では、何事も起りませんでした。主のみ使いはイスラエル人の家では何もせず、通り過ぎたのです。そのようにみ使いがこの家はイスラエル人の家だと知るための印として、イスラエル人の家では、小羊が殺され、その血が、家の戸口に塗られました。み使いはその印のある家を通り過ぎたのです。

 この災いによって、ついにファラオも本当にイスラエルを去らせる決心をします。出エジプト記12章31節以下です。
「ファラオは、モーセとアロンを夜のうちに呼び出して言った。『さあ、わたしの民の中から出て行くがよい、あなたたちもイスラエルの人々も。あなたたちが願っていたように、行って、主に仕えるがよい。羊の群れも牛の群れも、あなたたちが願っていたように、連れて行くがよい。そして、わたしをも祝福してもらいたい。』」

 このようにして、イスラエルの人々はついに、奴隷とされていたエジプトから出発し、神様が約束して下さっていたカナンの地へと旅立つことができたのです。神様の救いの歴史が新しく進展し始めたのです。エジプトに下されたこの最後の災いが、イスラエルの人々にとって大事な意味を持つようになりました。そのことについて、次回からお話していきたいと思います。

牧師 藤 掛 順 一
[2001年7月23日〜8月5日]

メッセージ へもどる。

(57)←「救いの歴史」→(59)