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テレホンメッセージ「救いの歴史」(3)旧約聖書、創世記の第12章から、聖書における「救いの歴史」が始まる、ということをお話ししてきました。その救いの歴史は、一人の人物の物語として始まります。それは「アブラム」という人物です。この人に、主なる神様が語りかけることから12章は始まります。1〜4節を読んでみます。
主はアブラムに言われた。 これは、アブラムという人の、旅立ちの物語です。主なる神の語りかけを受けて、それに従ってアブラムは旅立ったのです。その旅は、物見遊山の旅ではありません。しばらく出かけて、また帰ってくるという旅ではないのです。「生まれ故郷、父の家を離れて、神様の示す地に行く」旅です。生まれ育った、慣れ親しんだ場所、人々から離れて、未知の、新しい地に出かけていくのです。しかもその行く先は自分にはわかりません。行く先は神様がお示しになるので、アブラムには、どこへ行くのかわかっていないのです。 アブラムは何のためにそのような旅に出たのでしょうか。それは、神様の祝福の約束のためです。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように」。この神様の祝福の約束によって、アブラムは旅立ったのです。このことから、「救いの歴史」が始まります。創世記11章までの、「聖書の人間理解」においてお話ししましたように、神様によって造られ、祝福されて歩み出した人間は、神様に背き、自分が主人になり、自分の思い通りに生きようとする罪によって、その祝福を失い、様々な問題、苦しみを負って生きる者となりました。そのような人間に、祝福を回復してくださるのが神様の救いなのです。そのためには、人間は、今いる所から、神様の導きによって旅立たなければなりません。それが、信仰ということです。救いの歴史は同時に人間の信仰の旅路でもあるのです。
牧師 藤 掛 順 一 |
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