富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(42)

旧約聖書創世記第4章の「カインとアベル」の物語に描かれている、「聖書の人間理解」についてお話ししています。嫉妬のために弟アベルを殺し、人類最初の殺人者となったカインに、神様は罰をお与えになりました。それは、神様の祝福を失い、呪われる者となり、地上をさすらう者となる、というものでした。カインは絶望して、「もう私は生きていけない。私に出会う者は誰でも、私を殺すだろう」と言います。すると神様はこう言われたのです。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう」。そして神様は、カインが殺されることのないように、カインに一つの印をつけられた、と書かれています。神様に背き、兄弟を殺した殺人者であるカインを、神様はこのようにして、厳しく罰しつつ、なお彼を生かし、守られるのです。なぜそんなことをするのか。それがまさに、この話が単なる昔の伝説ではなくて、ここに聖書の人間理解が示されているということです。神様に対して腹を立て、共に生きるべき兄弟を嫉み、殺してしまったカインは、実はまさに私たち人間の基本的な姿です。私たちは皆、心の中で兄弟殺しの罪を犯している、カインの末裔なのです。私たちはその罪のために、神様の祝福から落ちてしまっています。地上に安息の地を失い、さすらう者となっています。カインの姿にまさに私たちの人生の有様が描かれていると言えるでしょう。そのような罪人である私たちは、本来、死ななければならない者です。カインの絶望は私たちの絶望なのです。そのカインを、神様が生かし、守られる、それは、もはやカインの話ではなくて、私たちのことです。神様は、神様に背く罪人である私たちを、それでもなお生かし、守り、導いて下さっているのです。最初の人間アダムとエバの罪以来、人間は、罪を重ねつつ生きており、その結果として平安を失い、暗い絶望の内にさすらう者となっている。人生は、罪に汚染されており、神の怒りの下にある。しかし神は、人間の罪に対して怒りつつ、なおその人間に守りと導きを与え続けておられる。カインの末裔である私たちが、なお生きることができているのは、この神の恵み、憐れみによるのだ、それが、カインの物語に描き出されている聖書の人間理解なのです。

牧師 藤 掛 順 一

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