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テレホンメッセージ「聖書の人間理解」(37)旧約聖書創世記第4章を読みながら、「聖書の人間理解」についてお話しています。最初の人間アダムとエバに、二人の男の子が生まれました。兄の名はカイン、弟の名はアベルと言います。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となりました。つまり、アベルは牧畜、カインは農業をする者となったのです。さて、聖書はこう語ります。「時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった」。二人は、自分の働きによって得た実りの中から、神様に献げ物を献げたのです。顔に汗を流して働いて生活の糧を得ることは、アダムとエバの罪によって人間に運命づけられたことでした。その労働によって得る実りは、神様が恵みとして彼らに与えて下さったものです。その実りの一部を、しかも最もよい部分を、神様に献げて感謝をするのです。 ところが、神様は、アベルの献げ物には目を留められたが、カインの献げ物には目を留められなかった。二人の献げ物を、神様は、同じようには扱われなかったのです。アベルの献げ物は喜ばれ、カインの献げ物は喜ばれなかったのです。どうしてでしょうか。ここには、聖書を生みだしたイスラエルの民の伝統において、農業よりも牧畜の方が尊まれていた、という背景があります。イスラエルの民はもともとは移動しながら家畜を飼う者たちでした。それが、いわゆるカナンの地に定着して、農業をも営むようになったと考えられます。しかしそのことによって、もともとの信仰的伝統が失われてしまった、という歴史があるのです。そういうことがこの話に影響を与えていると思われます。しかし、問題は、神様は農業よりも牧畜の方がお好きだ、ということではありません。そこにはもっと深い意味、人間とその人生の本質にふれるような事柄が語られているのです。それは一言で言えば、人生には不公平がある、ということです。同じように努力すれば同じ結果が得られるかというと、必ずしもそうではない、ある人はよい目を見るが、別の人は不遇な目にあう、人生にはそういう違い、不公平がある、そのことをこのカインとアベルの物語は語っているのです。次回それについてさらに掘り下げていきたいと思います。
牧師 藤 掛 順 一 |
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