富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(22)

 旧約聖書創世記第3章に語られている「聖書の人間理解」についてお話をしたいと思います。その第1節に「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった」とあります。この蛇は、人間を誘惑して罪を犯させる者、神様に背かせる者、つまりサタン、悪魔と呼ばれる力の表れとして描かれています。ですからその「賢さ」というのは、悪い意味です。人間を神様から引き離そうとする賢さです。

 その蛇が、エデンの園、楽園に住む人間に、先ず女性に、このように声をかけてくるのです。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」。これに対して女性、エバはこう答えます。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました」。これが、創世記第2章に語られていた神様の命令です。人間は、エデンの園の木の実を自由に食べてよかったのです。それによって豊かに養われていたのです。しかしその大きな自由と同時に、一つの小さな禁止が与えられていました。この木の実だけは食べてはいけない、というものがあったのです。それは「善悪の知識の木」でした。エバは、神様に言われた通りのことを蛇に答えたのです。

 しかし蛇は、実はそのことを先刻承知なのです。わかっていながらわざとこのように言っているのです。その蛇のねらいは、神が人間に与えている小さな禁止を、とてつもなく大きな禁止、人をがんじがらめに縛りつけ、生きていくことができないような束縛として人に意識させようということです。「どの木からも食べてはいけない、なんて、そんなひどいことを神は言っているのか、かわいそうに」ということです。ここに、人間を神に背かせ、罪に陥れようとする悪魔の常套手段があります。それは、人間に、神の下で、神に従って生きることは窮屈だ、縛られている、神のもとでは自由に生きられない、自分らしく生きることができない、という思いを抱かせるということです。そのような思いに捉えられていく時に、人は、自由を求めて神様を捨てるのです。しかしそれは実は、神様が与えていて下さる大きな自由を失い、楽園を喪失することなのです。

牧師 藤 掛 順 一

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