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「ナルニア国物語」について 第27回4.「銀のいす」(7)牧師 藤掛順一
そこに、地下の国の女王(魔女)が戻ってきました。リリアンの魔法がとけたのを見てとった彼女は、暖炉の火に魔法の粉をくべます。すると、うっとりと眠くなるような香りが立ちのぼりました。そして魔女は、マンドリンのような楽器をつまびきながら、彼ら全員に魔法をかけ始めたのです。それは彼らに、ナルニアだとか、地上の国とか、ユースチスとジルがいた「別の世界」とかはすべて夢の中のことで、現実はこの地下の国だけなのだ、と思い込ませようとするものでした。ユースチスもジルもリリアンも、甘い香りとうっとりするような楽器の音色と、魔女の巧みな言葉によって次第にその魔法にかかっていき、地上の世界も、太陽も、そしてアスランも、夢物語に過ぎなかったと思い始めていました。 けれども、泥足にがえもんだけは、さいごの力を死にものぐるいでふりしぼって、暖炉の方へ歩いていきました。それから、すごく勇敢不敵なことをやってのけました。にがえもんは…そのはだしで、もえる火をふみつけて、平たい暖炉のなかの火のさかりのところを、もみけして灰にしてしまったのです。するとたちまち、三つのことがおこりました。 まず、あのあまく重くるしい香りが、はなはだしくうすれました。暖炉の火が全部きえたわけではありませんが、かなりきえてしまって、ただよってきたのは、おもに沼人のやけどのにおいになったものですから、それでは、ひとをとろかすわけにはいきません。それがたちまち、みんなの頭をはっきりさせてしまいました。王子と子どもたちは、ふたたび頭をあげ、目をぱっちりとひらきました。 つぎに、魔女は、大きなおそろしい声をあげました。いままで使ってきたあのあまい声音とはうってかわったひびきで、「なにをするのか?この泥ムシめ。二度とわらわの火にさわることはならぬぞ。あえてすれば、そなたの血のくだのなかに、火をつけてくれようぞ。」 三つめには、やけどのいたみが、ひと時泥足にがえもんの頭をすっかりさえさせたものですから、自分の心にうかんだ思いをはっきりとつかみました。魔法のようなものをとくには、いたいめにあってびっくりぎょうてんするのが、何よりです。 「ひとこと申しあげたいんでさ。姫さま。」と泥足にがえもんは、いたみのあまりびっこをひきひき、暖炉からもどってきていいました。「ひとこと申しまさ。あなたがおっしゃったことは全部、正しいでしょう。このあたしは、いつもいちばん悪いことを知りたがり、そのうえでせいぜいそれをがまんしようという男です。ですからあたしは、あなたのおっしゃることがらを、一つとしてうそだとは思いませんさ。けれどもそれにしても、どうしてもひとこと、いいたいことがありますとも。よろしいか、あたしらがみな夢を見ているだけで、ああいうものがみな―つまり木々や草や、太陽や月や星々や、アスランそのかたさえ、頭のなかにつくりだされたものにすぎないと、いたしましょう。たしかにそうかもしれませんよ。だとしても、その場合ただあたしにいえることは、心につくりだしたものこそ、じっさいにあるものよりも、はるかに大切なものに思えるということでさ。あなたの王国のこんなまっくらな穴が、この世でただ一つじっさいにある世界だ、ということになれば、やれやれ、あたしにはそれではまったくなさけない世界だと、やりきれなくてなりませんのさ。それに、あなたもそのことを考えてみれば、きっとおかしくなりますよ。あたしらは、おっしゃるとおり、遊びをこしらえてよろこんでる赤んぼ、かもしれません。けれども、夢中で一つの遊びごとにふけっている四人の赤んぼは、あなたのほんとうの世界なんかをうちまかして、うつろなものにしてしまうような、頭のなかの楽しい世界を、こしらえあげることができるのですとも。そこが、あたしの、その楽しい世界にしがみついてはなれない理由ですよ。あたしは、アスランの味方でさ。たとえ今、導いてくれるアスランというかたが存在しなくても、それでもあたしは、アスランを信じますとも。あたしは、ナルニアがどこにもないということになっても、やっぱりナルニア人として生きていくつもりでさ。では、けっこうな夕ごはんをいただいて、ありがとうございました。そちらのふたりのとのと、わかい姫との用意がよろしければ、さっそくにあなたのご殿をさがり、このさき長く地上の国を求めてさすらおうとも、くらやみのなかに出かけてまいりましょう。どうせあたしらの一生は、さほど長くはありますまい。しかし、あなたのおっしゃる世界がこんなつまらない場所でしたら、それは、わずかな損失にすぎませんから。」 この泥足にがえもんの言葉こそ、「銀のいす」のクライマックスです。ここには、目に見える現実に逆らって、見えない神を信じて生きる信仰の告白があります。それと同時に、ここにはC・S・ルイスのファンタジー論が展開されています。「ナルニア国物語」は架空の話、頭の中で造り出された世界です。それはファンタジー(空想物語)です。しかしそのファンタジーには、「本当の世界を打ち負かして、うつろなものにしてしまうような」力があるのです。「現実が真実を語ることもあれば、別の世界、空想の世界においてのほうが真実に触れ、大切なものはなになのかを見つけ、教えられることもあります。」(松井居「ファンタジーのふしぎ」)。ルイスはそういう思いで、「ナルニア国物語」を書いたのです。 そしてさらに、信仰の観点から見る時に、ここには重要なメッセージがあります。地上の世界も、ナルニアも、アスランも、この物語の中では「現実」なのです。そんなものは空想の産物に過ぎないという魔女の言葉は、人々を惑わし、本当の現実を見えなくして、自分の意のままにあやつろうとする策略です。つまり、アスランを信じ、アスランの味方として、ナルニア人として生きるということは、つまり信仰は、本当に現実に立脚した生き方なのです。「神とか、神の恵みというのは、人間が頭の中で造り出した幻想に過ぎない」と思うことは、実はこの魔女の惑わしによって、本当の現実を見失ってしまっている、つまり魔法にとらえられていた時のリリアン王子のような生き方なのです。神は、主イエス・キリストは、ファンタジーではありません。「神などいない」という思いこそが、むしろ人間の空想、悪魔の欺きなのです。そのことを、このファンタジーは見事に描いてくれているのです。 |
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