1.聖書について
Q1.1 聖書はいつごろ書かれたのですか?
Q1.2 聖書は誰が書いたのですか?
Q1.3 聖書には何が書いてあるのですか?
Q1.4 聖書は世界のベストセラーなのですか?
Q1.5 聖書はなぜ「旧約」と「新約」に分かれているのですか?
Q1.6 聖書は分厚いですが、やはり最初から読まないとダメですか?
Q1.7 聖書を読んでも意味のわからないことがたくさん出てきます。どうしたらいいですか?
QQ1.8 聖書はどこで売っているのですか? 内容は全部同じなのですか?
2.教会について
Q2.1 教会ではどんなことをしているのですか?
Q2.2 信者でない人も教会へ行っていいのですか?
Q2.3 入場料はいるのですか?
Q2.4 いろんな教会がありますが、どの教会でもやっていることは同じなのですか?
Q2.5 「日本基督(キリスト)教団」って、どんな団体ですか?
Q2.6 「牧師」と「神父」は違うのですか?
Q2.7 礼拝ではどのようなことをするのですか?
Q2.8 プロテスタント教会とカトリック教会の違いは何ですか?
3.神について
Q3.1 神は本当にいるのですか?
Q3.2 神を信じるというのは、弱い人間のすることではないのですか?
Q3.3 キリスト教の神様と神社の神様は違うのですか?
Q3.4 神様がいるのに、どうして戦争や災害など悲惨なことが起きるのですか?
4.イエス・キリストについて
Q4.1 イエス・キリストは実在の人物ですか?
Q4.2 名前がイエスで、姓がキリストなのですか?
Q4.3 イエス・キリストはただの人間ではないのですか?
Q4.4 なぜ神の子が人間になったのですか?
5.信仰について
Q5.1 信仰というのは、神を信じる気持ちなのですか?
Q5.2 神を信じると病気が治ったり、お金がもうかったりするのですか?
Q5.3 聖書には奇跡がたくさん出てくるようですが、ちょっと信じられません。
Q5.4 信者になる時にはどのようなことをするのですか?
Q5.5 信者はお酒を飲んではいけないのですか?
6.結婚について
Q6.1 信者でない人の結婚式はしてもらえますか?
Q6.2 飛び込みですぐ結婚式を挙げることはできますか?
Q6.3 結婚式の費用はどれくらいかかりますか?
Q6.4 結婚式に参列する際の心得やマナーなど、注意することはありますか?
7.葬儀について
Q7.1 キリスト教の葬儀はどんなことをするのですか?
Q7.2 キリスト教の葬式ではお経は唱えないのですか?
Q7.3 お通夜はあるのですか?
Q7.4 キリスト教の葬儀に行くとき、香典袋を使ってもよいのですか?
Q7.5 信者でない人の葬儀は教会でしてもらえるのですか?
Q7.6 49日や年忌の法要はするのですか?
Q7.7 教会に墓地はあるのですか?だれでも入れるのですか?
1.聖書について
Q1.1 聖書はいつごろ書かれたのですか?
私たちが手にしている聖書は一冊になっていますが、元は旧約39巻、新約27巻、計66巻からなっています。旧約の原型が出来たのは紀元前1000年頃と考えられていますが、それらを伝承してきた前史を考えればそれより数百年前まで遡るでしょう。日本では縄文時代です。それ以来、旧約は紀元前数百年頃まで書き継がれてきました。新約は紀元後1世紀に記されたと考えて良いでしょう。ですから、聖書は実に千年以上にわたって書かれた書が集められたものということになります。
ちなみに、日本最古の小説「源氏物語」は今から約千年前に書かれました。ですから、聖書は源氏物語が書かれてから現代に至るまでの時間をかけて書き継がれてきた書ということになります。ビックリでしょう。
Q1.2 ・聖書は誰が書いたのですか?
聖書の各文書は千年の時間の幅の中で記されたのですから、当然たくさんの人達によって書かれたものです。その時代背景は、文書によって大きく違います。書かれた言葉も旧約はへブル語、新約はギリシャ語です。しかし、そこには実に見事な統一があります。それは、聖書の各文書を記した人達は、皆同じ唯一の神様を信じる民(神の民)の一人であったからです。そして彼らは、神様から信仰を与えられ、これらの書を記すように導きを受けて記したのです。その意味では、聖書の本当の著者は神様と言って良いのです。
Q1.3 聖書には何が書いてあるのですか?
神様の御心が記されています。聖書は、神様の御業と御言葉とを記すことによって、神様の御心を示します。その御心とは「愛」です。私たちは聖書を読むことによって、神様が私たちをどんなに愛してくださっているかを知らされます。そして、この「神様の愛」を最も具体的に、徹底的に示してくださったのがイエス・キリストというお方なのです。ですから、聖書には直接その名が出てこないところでも「イエス・キリスト」を指し示しているのです。
Q1.4 聖書は世界のベストセラーなのですか?
聖書ほど多くの言葉に翻訳されているものはありません。聖書は2007年現在、世界2377の言語に翻訳されており、更に少数民族の言語への翻訳が続けられてています。
2000年の1年間に世界中の聖書協会によって約6億3300万冊が配布・販売(国際聖書協会の発表)されました。日本でも、1874年〜2004年に3億4584万1334冊が頒布(日本聖書協会の発表)されています。
Q1.5 聖書はなぜ「旧約」と「新約」に分かれているのですか?
「旧約」とは「旧い契約」、「新約」とは「新しい契約」という意味です。
「旧約」には天地創造からイエス様が生まれるまでの、主にイスラエルの民の歴史に現れた神様の救いの御業が記されています。それは、神様とイスラエルの民との間に結ばれた契約(旧い約束)に基づく歴史なのです。「旧約」はユダヤ教の正典でもあります。
そして「新約」にはイエス様がお生まれになってからのことが記されています。主イエスは十字架に架かり、全ての者のために、全ての者に代わって、全ての罪を担ってくださいました。主イエスを信じる者は、誰でもこの救いに与るという契約(新しい契約)が結ばれたのです。
Q1.6 聖書は分厚いですが、やはり最初から読まないとダメですか?
いいえ、どこから読んでも良いのです。新約の1ページ目には、名前が長々と羅列してあり、読む気が失せてしまいますよね。私は、新約では「ルカによる福音書」を、旧約では「創世記」をまず読むことを勧めています。これは物語として読んでも比較的読みやすいですよ。
Q1.7 聖書を読んでも意味のわからないことがたくさん出てきます。どうしたらいいですか?
そうですね。一人で読んでも聖書はなかなか分かりませんね。何しろ、2千年以上も前の本なのですから。日曜日の礼拝や、水曜日の聖書を学ぶ会、あるいは家庭集会といった集会に出て、牧師から聖書の解き明かしを聞くのが一番だと思います。教会に行けば、聖書の解説をしている本もいろいろ置いてあると思いますので、それを借りるのも良いでしょう。あわてず、焦らず、少しずつ分かっていけばよいと思います。
QQ1.8 聖書はどこで売っているのですか? 内容は全部同じなのですか?
聖書は、町の書店でも扱っているはずです。原典は、旧約はヘブル語、新約はギリシャ語で書かれています。これを日本語に翻訳したものを私達は使っています。翻訳のバージョンによって何種類かありますが、内容は同じです。日本で一番使われているのは、日本聖書協会によって翻訳されたものです。特に「新共同訳」は、プロテスタントもカトリックも用いています。
2.教会について
Q2.1 教会ではどんなことをしているのですか?
日曜日に礼拝をしています。当教会では午前10時20分と午後7時の2回礼拝を行っています。また、子どものための教会学校を午前9時から行っています。そこでは、讃美歌が歌われ、祈りがささげられ、聖書の説き明かし(説教)がなされています。
その他、聖書を学び祈る会や家庭集会が開かれ、毎日のように聖書を学ぶときが持たれています。
Q2.2 信者でない人も教会へ行っていいのですか?
もちろんです。神様は全ての人を招いているのですから、教会で持たれる全ての集会には、どなたでも自由に参加することができます。受付で「初めてです」と言っていただければ、案内させていただきます。聖書・讃美歌等も教会の備え付けのものをお貸しいたします。最初は誰でも信者ではないのですから、何も気にすることはありません。わからないことは何でもお聞きください。
Q2.3 入場料はいるのですか?
教会の集会に参加するのに入場料・参加料・会費のようなものは一切ありません。礼拝の中では「献金」がありますが、これは神様の恵みに感謝して信仰をもってささげるものですから、金額も自由です。神様に感謝することができない人はささげる必要はありません。当教会では、受付で献金を入れる袋をお渡ししますが、持ち合わせがなければ袋のままお出しいただいてけっこうです。
なお、教会を会場としてお貸しして開かれるコンサート等においては、主催者が決めた入場料が必要です。
Q2.4 いろんな教会がありますが、どの教会でもやっていることは同じなのですか?
仏教にもいろいろな宗派があるように、キリスト教にもいろいろな教派があります。それぞれの教派は、独自の歴史と教理を持っています。それに基づいて、それぞれ活動をしています。基本は日曜日の礼拝で、これは形式が若干違っていても、これを中心にしていない教会はありません。しかし、それ以外の活動はそれぞれの教会で工夫され、独自のものがなされています。教育に力を入れ、幼稚園・保育園を行っている教会もあります。
Q2.5 「日本基督(キリスト)教団」って、どんな団体ですか?
1941年6月24日に日本国内のプロテスタント30余教派が「合同」して成立した教会で、日本においては最も大きな教会です。現在、1700余りの教会・伝道所があります。幾つもの教派が合同していますので、各個の教会はそれぞれの教派的背景を持っており、かなり多様です。ちなみに、私共の教会は長老派・改革派の伝統にあります。
関係学校は、東京では青山学院、桜美林学園、恵泉女学園、東京女子、東洋英和女学院、明治学院など、関西では同志社、関西学院、神戸女学院などがあり、北陸では北陸学院があります。
Q2.6 「牧師」と「神父」は違うのですか?
教会の教職の呼び方が、プロテスタントでは「牧師」であり、カトリックでは「神父」なのです。どちらも、神様からの召しを受け、神学校に行き、訓練の後に教師となります。「神父」は妻帯しませんが、「牧師」は妻帯し家庭を持っています。
Q2.7 礼拝ではどのようなことをするのですか?
神様を賛美し、神様に祈りを捧げ、神様の言葉である聖書の説き明かし、つまり説教を聞きます。その日の礼拝の順序は、受付で配られる「週報」に記されており、ここにその日の聖書の箇所、讃美歌の番号などが記されています。讃美歌と聖書は受付でお貸しいたしますので、持っていない方でも大丈夫です。会堂に入られたら、その日の聖書箇所を開いて読み、礼拝の始まるのを待たれるのがよいでしょう。初めての方には、教会員が隣に座ってお手伝いいたします。
Q2.8 プロテスタント教会とカトリック教会の違いは何ですか?
プロテスタント教会は、16世紀に当時のカトリック教会のあり方に反対し、「聖書のみ・信仰のみ・万人祭司」を旗印にして宗教改革を行い生まれました。組織的には、カトリック教会がローマ法王を頂点とした位階制のもとでの世界的な単一組織であるのに対して、プロテスタント教会は各国ごとにそれぞれの教派が教会を組織しています。見た目の違いでは、カトリック教会にはマリヤ像や様々な絵画が飾ってあったりしますが、プロテスタント教会にはありません。それらは偶像礼拝に当たると考えているからです。
3.神について
Q3.1 神は本当にいるのですか?
難しい問いですね。神様を花や石のように「ここに、このようにある」とは誰も確認することはできません。でも、人間の五感や理性で把握することができないからといって、それは存在しないとも言えないでしょう。あなたの大切な人との間に、「愛」があることをどうすれば確認できますか?「信じる」しかないのではないでしょうか。神様もそうでしょう。信じる者にとって、神様は確かにおられ、愛し、守り、支え、導いてくださっている方なのです。
また、明確な信仰を持っていない人でも、何か目に見えない、崇高な存在を何となく信じているのではないでしょうか。それは、人間には誰にでも「信仰の種」とでも言うべきものが備えられているからなのだと思います。
Q3.2 神を信じるというのは、弱い人間のすることではないのですか?
人間は、神様を必要としないほどに強い者なのでしょうか。それは「傲慢」ではないでしょうか。私共は、いつでも、どんな時でも、正しい道を歩んでいるのでしょうか。いや、何が正しい道なのかを本当に知っているのでしょうか。いつの間にか、自分の損得で道を選んではいないでしょうか。本当に愛し、守らなければならない大切な人さえも傷つけてはいないでしょうか。
神様を信じるということは、そのような自分の弱さ・愚かさを知らされ、本当に正しい道を歩み出すということなのです。神様を信じることにより、人間は「謙遜」ということを知るのではないでしょうか。
Q3.3 キリスト教の神様と神社の神様は違うのですか?
初詣に神社に行く人は多いでしょう。神社の祭神は神社によって違うのですけれど、その時自分が拝んでいる神様が誰であるかを知っている人がどれほどいるでしょうか。あまり気にもしていないのかもしれませんが、少し変ですね。
キリスト教の神様は、「天地を造られた、全能の、唯一の、父なる神様」です。世界中のどのキリスト教会で礼拝されている神様も同じです。天地を造られた神様ですから、ただお一人なのです。そして、この方は私共に「わが子よ」と呼びかけてくださり、私共一人一人と人格的な関係を持ってくださる神様なのです。
Q3.4 神様がいるのに、どうして戦争や災害など悲惨なことが起きるのですか?
大変難しい質問ですね。しかし、とても大切な質問ですね。一つの答えは「わかりません」ということになると思います。「どうして私の生まれたばかりの子が死ななければならないのか?」この母親の問いに納得できる答えを与えることのできる人はいません。この問いにもっともらしい顔で答える宗教家がいるとすれば、その人は嘘つきでしょう。私共には、全てがわかるわけではないのです。私共人間には、明日何が起きるのかわからないように、神様の御心の全てを知り尽くすことはできないのです。
しかし、何もわからないかと言えばそうではありません。まず確認しておかなければならないことは、神様のご支配というものは、人間を操り人形のように扱う支配の仕方ではないということです。神様は愛のお方ですから、神様のご支配は私共に自由を与えて、その上で私共と世界を導こうとされているのです。しかし、人間はその自由を、互いに愛し互いに仕え合うために用いるのではなくて、自分の欲望を満たすために用いてしまいます。これが罪です。この罪によって悲惨な現実が引き起こされていることは間違いありません。
もう一つ確認したいことは、この世の悲惨や歎きの現実が全てではないということです。私共の人生は死をもって閉じられます。しかし、神様は神の国において肉体を超えた命、永遠の命を備えてくださっています。私共の人生がこの神の国に向かっての歩みであることを知ることによって、この世界の悲惨を乗り越えていく希望と勇気が与えられるのです。我が子を失ったお母さんは、きっと神様の御許で再び会うことができるのだと信じています。
4.イエス・キリストについて
Q4.1 イエス・キリストは実在の人物ですか?
もちろん実在の方です。イエス様は紀元前4年頃〜紀元後30年頃にパレスティナで活動されました。聖書の中の4つの福音書(マタイによる福音書・マルコによる福音書・ルカによる福音書・ヨハネによる福音書)には、そのイエス様の言葉や業が記されています。イエス様の生まれた時は正確にはわかりません。でも、弟子達と共に旅をしながら教えを宣べ伝え、エルサレムにおいて十字架にかけられて死なれたということははっきりしています。
Q4.2 名前がイエスで、姓がキリストなのですか?
いいえ、違います。イエスというのは名前ですが、キリストというのは、救世主を意味する「油注がれた者」というヘブル語の「メシア」を、ギリシャ語に音訳したものです。つまり、イエス・キリストという言い方は「イエスは救世主である」ということなのです。始めはこの言い方はキリスト教会の中だけで用いられていましたが、キリスト教が広まるにつれ、この言い方が一般的になったのです。
Q4.3 イエス・キリストはただの人間ではないのですか?
イエス様はキリスト(救世主)ですから、ただの人間ではありません。天地を造られた神様の独り子です。ただの人間なら、全ての人を救うことはできないでしょう。イエス様は神様と同じ全能の力を持ち、神様の御心を体現された方でした。聖書の中の福音書には、そのイエス様がなさった数々の奇跡や教えが記されています。そして、何よりも神様の御心とみ力とを示された出来事として十字架と復活があります。イエス様は、全ての罪人のために、その裁きを代わって受けるために、十字架にかかり死なれました。そして、3日目に復活されたのです。更に復活されたイエス様はその御姿を弟子達に現され、40日後に天に昇られたのです。これは、ただの人間のすること、できることではないでしょう。
Q4.4 なぜ神の子が人間になったのですか?
キリストは天地が造られる前から、父なる神様の独り子として、神様と共に天におられました。神様はこの地上に、ご自身に似た者として人間を造られました。神様の御心は、人間が神様との親しい交わりの中に生きることでした。しかし、人間は自分を造られた神様を忘れ、自分勝手に生きるようになってしまったのです。それが罪です。神様は、この人間の罪を赦すために、人間に代わって、人間の罪の裁きを受ける者として、神様の独り子・キリストを人間として地上に送られたのです。人間の罪は、人間によって償われなければならなかったからです。私たちは、このイエス・キリストの十字架の死により、全ての罪を赦された者として、父なる神さまとの親しい交わりの中に生きる者へと変えられたのです。本当にありがたいことです。
人間のすること、できることではないでしょう。
5.信仰について
Q5.1 信仰というのは、神を信じる気持ちなのですか?
信じる気持ちと言うよりも、神様を愛し、信頼することと言った方が良いかと思います。私共の信仰は、神様との人格的な交わりだからです。神様は聖書の言葉や出来事を通して私共に語りかけ、私共も祈りをもって神様に語りかけます。そのような営みの中で、私共と共におられる神様を、いよいよ愛し、信頼するようになっていくのです。
また、この神様と私共との関係は、夫婦のように契約によって確かなものとされます。この契約式が洗礼です。私共の気持ちは移ろいやすいものですが、契約によって立てられた神様との関係は、簡単に破られたりはしないのです。
Q5.2 神を信じると病気が治ったり、お金がもうかったりするのですか?
神様にお祈りして病気が治るということはありますし、仕事がうまくいくということもあるでしょう。神様は全能の力をお持ちですから、私共の思いを超えた御業を為してくださいます。しかし、祈っても、願ってもそうならないこともあります。それは、神様は私共に一番良い道をいつも備えてくださるからなのですね。自分が願ったことが、自分にとって一番良いこととは限らないのですから。
それと、神様を信じるようになると、病気が治ったりお金がもうかったりすることより素晴らしいことがあることが分かるようになります。そして、そのことを何よりも願い求めるようになるのです。
Q5.3 聖書には奇跡がたくさん出てくるようですが、ちょっと信じられません。
奇跡というのは、信じられないような出来事を指す言葉ですね。誰もが「なるほど」「当たり前」と思うことならば、それは奇跡とは言わないでしょう。ですから、奇跡を「信じ難い」と思うのは、当然のことなのです。でも、聖書において奇跡を起こすのは、いつも神様です。ここが肝心なところです。神様は天地を造られた方ですから、奇跡くらいはお手のものです。また、奇跡も起こせないようでは、とても天地を造られた神様とは言えないし、信頼する値打ちもないのではないでしょうか。
Q5.4 信者になる時にはどのようなことをするのですか?
キリスト教会では、信者になる人は「洗礼」を受けます。どんなに長く教会に通っていても、洗礼を受けなければ信者にはなれません。この洗礼というのは、「父と子と聖霊の御名によって」水を頭から浴びる儀式です。水の量は問題ではありません。これによって罪を洗い清められ、神の子・神の僕として新しく生まれ変わるのです。この洗礼は全世界共通です。ですから、海外の教会で洗礼を受けても、通う教会が変わっても受け直すというようなことはありません。一生に一度だけの出来事です。
洗礼は信仰をもって受けるものですから、教会に来て「すぐ洗礼を受けさせてください。」
と言っても、信仰の導きを受けてからということになるでしょう。洗礼を受けるときには、自分の信仰を言い表す「信仰告白」が求められるからです。
Q5.5 信者はお酒を飲んではいけないのですか?
かまいません。ただ、節度を失うほどの飲酒や、アルコール中毒になってしまうような飲み方はいけません。もちろん車の運転前の飲酒はいけません。これは常識の範囲で判断してください。
6.結婚について
Q6.1 信者でない人の結婚式はしてもらえますか?
もちろん行います。天地を造り、私共を造られた神様の御前で誓いを為し、結婚式を挙げることは、神様の御心にかなう本当に素敵なことだからです。お二人の新しい歩みの上に神様の祝福を祈り求めることは、教会の大切な務めです。喜んで、心を込めてさせていただきます。
Q6.2 飛び込みですぐ結婚式を挙げることはできますか?
結婚式は、教会の行事等に差し支えのない日程でしかお受けすることはできませんので、飛び込みですぐにというわけにはいきません。せめて3ヶ月前、できれば披露宴の日程を決める前に牧師にご相談ください。そして、結婚式までの間に4〜5回の準備会を行います。これを行いながら結婚に向けての心の備えをしていきます。その間、日曜日の礼拝にも何度か出ていただきます。
Q6.3 結婚式の費用はどれくらいかかりますか?
教会の結婚式は、商売ではありませんので、価格の設定などはありません。教会・牧師・奏楽者に感謝のしるしとして献げられたものを受け取ります。飾り付けのお花などは実費をいただきます。その他は全て教会員が奉仕してくださいます。結婚式の当日には、教会員も参列して讃美歌を歌い、共に神様の祝福を祈ります。
Q6.4 結婚式に参列する際の心得やマナーなど、注意することはありますか?
結婚式の参列者は、この二人が神様の御前に誓ったことの証人となるためにそこに居ます。ですから、何よりも神様の御前にあるということを心得ていただくことが大切です。会堂に入られたら私語を慎み、今から始まる結婚式において神様の祝福が二人の上に豊かに注がれるよう祈って待ちましょう。写真や録画を撮るために移動することなどは控えてください。ただどうしてもする場合には、事前に牧師に申し出て、注意事項を確認しておいてください。聖書朗読と祈祷をしている間は、写真を撮ったりはしないようにしてください。また、祈りの最後の「アーメン」(その通りという意味)は一緒にご唱和ください。
7.葬儀について
Q7.1 キリスト教の葬儀はどんなことをするのですか?
これを短く説明するのは難しいのですが、一連の流れを説明いたしましょう。まず、牧師はその方が突然死でない限り、亡くなる前から病院や自宅に訪ねて祈っているものです。そして、亡くなった知らせを受けると、牧師はすぐにその方の所に行って祈りを捧げます。そして遺族の方と葬式の打ち合わせをして日程を決め、納棺式・前夜式・葬式・火葬前式・火葬と続きます。骨上げの後に自宅に戻り、祈りを捧げて終わります。呼び方は違いますが、一般になされている葬儀の流れとあまり違わないと思います。
ただ、そこでなされることは大きく違います。全ての式はキリスト教の礼拝式です。讃美歌が歌われ、聖書が読まれ、説教がされ、祈りが捧げられます。参列者全員が讃美歌を歌い、全員が祈りの最後にアーメン(「その通り」という意味)と唱えます。
Q7.2 キリスト教の葬式ではお経は唱えないのですか?
キリスト教の葬式では、牧師が式の全てを司式します。讃美歌も祈りも説教も、現代の日本人にわかる言葉でなされます。ですから、「キリスト教の葬式は、わかる言葉でなされるので良い」などとよく言われます。理由は、キリスト教の葬儀は遺族・近親といった故人と深い交わりにあった人々、つまり参列者の為になされるからです。その方達に、神様の慰めと平安を願ってなされるのです。故人は既に神様の御許に行かれたのですから、故人のために祈る必要はないのです。
Q7.3 お通夜はあるのですか?
お通夜とは言いませんが、前夜式と言って葬式の前夜に祈りの会が持たれます。式の流れは葬式とあまり変わりません。故人の愛唱讃美歌が歌われ、愛唱聖句が読まれ、故人を偲びつつ説教がなされます。キリスト教の葬式は初めてという方でも、戸惑うことなく参列できると思います。また、焼香はありません。多くの教会では、前夜式や葬式の最後に献花がなされます。
Q7.4 キリスト教の葬儀に行くとき、香典袋を使ってもよいのですか?
キリスト教では香典とは言わず、お花料と言います。しかし、市販では「お花料」の袋というのはあまり見かけないでしょう。ですから、無地の白い封筒に「お花料」と書いたもので良いと思います。ただ私は、この袋にこだわる必要はないと思っています。要は故人・ご遺族に対しての気持ちを表すことです。香典袋を使ったから「失礼な」と思う遺族はいません。
Q7.5 信者でない人の葬儀は教会でしてもらえるのですか?
行います。ただ、教会の葬儀への歩みは、その方が亡くなってから始まるとは考えません。死を前にしての不安な日々を、牧師が本人やご家族の方と共に歩むところから始まります。ですから、亡くなったら教会で葬儀をしてほしい場合、そのことを事前に申し出ておいていただくとよいでしょう。もしその方がご病気であるならば、牧師が病床にお訪ねし、お話を聞いたり、共に讃美歌を歌い、共に祈って、その方との交わりをなします。しかし、死は突然ですから、そのような備えができない場合もあります。その様な場合でも、葬儀はお引き受けいたします。
Q7.6 49日や年忌の法要はするのですか?
しません。ただ、既に天に召された方々を覚え、召天者記念礼拝(私共の教会では10月最後の日曜日)を毎年守っています。この礼拝には大勢のご遺族の方が出席されます。この日の礼拝後、教会の墓地に行って墓前祈祷会を守ります。また、ご遺族の希望により「召天○○年記念会」を行います。これは召天された方を覚え、牧師を招いて行うプライベートな礼拝ですが、召天何年目に行うということは特に決まっていません。
Q7.7 教会に墓地はあるのですか?だれでも入れるのですか?
私共の教会は、富山市の長岡墓地に納骨堂を持っています。これは原則としては教会員のためのものですが、私共の教会で葬儀を行った方は入れます。ただし、スペースに限りがありますので、納骨だけを希望される方にはご遠慮願っております。