富山鹿島町教会

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「ナルニア国物語」について 第55回

7.「さいごの戦い」(8)

 牧師 藤掛順一


 偽物のアスランを失ったので、もうそれを持ち出して見せることができないのだ、という小人たちの指摘に対して、ヨコシマはこう言います。「おれは、タシラン(アスランとタシは一つだということから、今ではこう呼ばれています)が見られないとはいってないぞ。見たい者は見ることができるんだ」。ただしそれは、一人ずつうまやの中に入って、中でお会いするのだ、タシランは今非常に怒っている、だからどうなっても知らんぞ、さあ、誰が真っ先にうまやに入ってタシランに会うか…、そうヨコシマは言うのです。これを聞くと、誰もがおじけづいてうまやに入ろうとはしませんでした。
すると、ハジカミが進み出て、「よろしければ、わたしがはいりましょう」と言いました。これを聞いた小人のポギンがチリアン王に言いました。「このにくらしいネコは、計画をおこなって、その中心におるのです。うまやのなかに何がいようと、あいつを傷つけることはありますまい。ぶじにハジカミめがあらわれて、なにかのふしぎを見たとぬかすことでしょう」。しかし、うまやに入っていったハジカミは、ものすごい声をあげて飛び出して来ました。カロールメンの隊長リシダが、予想外のことにとまどいつつ、何を見たのかと尋ねました。
 つづいておこったことは、やはりおそろしいものでした。チリアンは、ネコがたしかに何かいおうとしていることを感じました(ほかの者たちもそう思いました)。けれどもネコの口からは、イギリスの裏庭でおいぼれのおすネコのおこったりおどろいたりした時にきかれる、ふつうの、みっともない、しわがれ声よりほかにもれませんでした。そして、ハジカミがギャーギャーなきたてればなきたてるほど、ものいうけものらしくなくなっていきました。不安なすすり泣きと、小さなかん高いキーキー声が、ほかの動物たちのあいだからもれました。「みろ、みろ!」とイノシシの声がしました。「ことばがしゃべれない。しゃべりかたをわすれてしまった!口のきけないけものにもどってしまった。あの顔をごらん!」だれもが、そのことばがほんとうであることをみとめました。それから、ナルニア人たちの上に、この上ないおそれがひろがりました。そのわけは、そのめいめいが、ひよこや子犬や子牛の時から、こう教えこまれていたからです。この世界のはじまりにあたって、アスランは、ナルニアの動物たちを、ものいう動物にしてくださった。その時アスランは、もしよくないことをしたら、いつかもとにもどって、よその国々で出会うような頭のはたらかないけもののようになってしまうと、いましめられたということなのです。「それがいま、わたしたちの上にやってきたのだ。」と動物たちは、うめき声をたてました。
 このことは、第六巻「魔術師のおい」に語られていたことで、このシリーズの第四一回で触れました。アスランによって言葉(人格)を与えられたナルニア人は、アスランへの反逆(罪)の中でそれを失ってしまうのです。
 ナルニア人たちが震え上がっていると、カロールメンの若い将校の一人が隊長リシダに声をかけました。「わたしが、はいってみたいと思います」。隊長リシダは驚いて、まだ少年のくせに余計な口を出すなと言います。しかし彼(名前はエメース)は、自分もタシに仕える身であり、タシの顔を一目おがめれば、千度死んでも悔やまないと言います。つまりこのエメースは、真実にタシの神を信じている信仰者なのです。リシダが、これはナルニア人たちのことで、カロールメンには関係ないと言うと、彼は、「しかしアスランとタシは同じものだとあなたは言ったではないですか、それならタシが中におられるはずだ、それともタシとアスランは同じではないのですか?」とつめよります。彼は、自分の信じる神を終始タシと呼んでいます。「タシラン」などという馬鹿げた呼び方をするのは、信じていない者たちだけなのです。リシダはついにあきらめて、エメースにうまやに入ることを許しました。たから石は彼を見てささやきました。「わたしは、あの少年戦士が、カロールメン人ながら、すきになりました。あの少年は、タシよりよい神を信ずべき人ですね。」
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