富山鹿島町教会

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「ナルニア国物語」について 第40回

6.「魔術師のおい」(5)

 牧師 藤掛順一


 ディゴリーたちが来合わせたのは、偉大なライオン、アスランによるナルニアの「天地創造」の場面でした。アスランが歌を歌いながら歩きまわると、それに応じてこの世界に様々なものが生まれ、育っていったのです。ライオンはだんだんに彼らに近づいてきました。魔女は進み出て、ロンドンの街灯から折り取った鉄の棒をライオンめがけて投げつけました。それはライオンのみけんに当たりましたが、ライオンは全く動ずることなく、歩みを続けました。魔女はその場を逃げ出し、姿が見えなくなりました。ライオンは彼らに目もくれずに通り過ぎていきました。
 ふと気がつくと、魔女が投げた鉄の棒が落ちたところに、小さな街灯が「生えて」いました。それは見ているうちに大きくなっていきました。ライオンの歌によって生え出た草や木がぐんぐん育っていったように、魔女が折り取った街灯の一部も、この地に落ちると、もとのロンドンの街灯と同じものへと「育って」いったのです。しかもその街灯はもとのロンドンのものと同じく、火が灯っていました。誰も油を足したりしなくても、この街灯はいつまでも灯り続けていったのです。こうして、野原のまん中に、ロンドンの街灯が一本だけ立っているという不思議な光景が生まれました。この街灯こそ、後にルーシィが衣装だんすを通ってナルニアに初めて行った時、林の中に灯っているのを見た街灯だったのです。
 街灯がこのように「育って」いくのを見たアンドルーは、早速金もうけを考え始めました。「古い鉄くずをここにもってきて、埋める、そうすると、機関車だろうと、軍艦だろうと、お好みしだいピカピカの新品が出てくるのだぞ。ビタ一文かからん。それをイギリスにもっていけばまるもうけじゃ。わしは大金持ちになれるぞ」というわけです。さらにアンドルーはこう言いました。「この国なら、一日たりとも年をとらんことになっても、わしはおどろかんわい。すばらしいことじゃ!若さの国じゃ!」それを聞いたディゴリーは、お母さんのお見舞に来た人の言葉を思い出しました。この国なら、お母さんの病気を直すものを見つけることができるかもしれない。彼は、あのライオンのところへ行って、そのことを頼んでみようと、ライオンのあとを追っていきました。
 彼らがそばにいくと、ライオンは先ほどとはまた違った調子の歌を歌い始めていました。その歌声によって、あちこちの地面が盛り上がり、そこから動物たちが生まれてきました。あたりは多くの動物たちで大変な騒ぎになりました。ライオンはその中から、それぞれの動物を一つがいずつ選び出して自分の周りに集めました。ライオンは、まったくまばたきもせずに、にらみすえて焼きつくそうとするように、じっと動物たちを見つめました。すると、だんだんと動物たちに、ある変化がおこりました。小さな動物たち―ウサギとかモグラとかいうもの―はぐんと大きくなりました。とても大きな動物たち―いちばん目につくのはゾウですが、―は少し小さくなりました。後足をつけてすわっている動物たちもたくさんいます。たいていのものが、少しでもききのがすまいとするように頭を一方にかしげています。ライオンは、口をひらきました。しかし、口から何のひびきももれません。ただ息を吐きだしていたのです。長いあたたかい息吹です。その息は、まるで風が一ならびの木々をゆするように、すべての動物たちをゆり動かすと見えました。はるか頭上の青空の幕のおくにかくれていた星たちが、ふたたびうたいました。きよらかな、冷たい、むずかしい音楽でした。それから、まるで火のような(だれひとりやけどをする人はいませんでしたが)光のいなずまが一すじ、空からか、それともライオンのからだからか、ぴかりとさしました。すると子どもたちのからだは、血しおがきりきりとうずきました。その時、子どもたちがこれまできいたこともなく深い、まことにはげしい声がいいました。『ナルニア!ナルニア!ナルニアよ!めざめよ。愛せ。考えよ。話せ。歩く木々となれ。ものいうけものとなれ。聖なる流れとなれ。』すると、集められた動物たちがいっせいに言葉をしゃべりだしたのです。
 この場面は、創世記における、人間の創造の場面とつながります。神が土のちりで人を造り、命の息を吹きかけると、人は生きたものとなった(創世記2章7節)。そのことが、ナルニアにおける「もの言うけもの」の誕生と重なり合うのです。アスランはもの言うけものたちにこう言いました。「いきとしいけるものたちよ。わたしは、それぞれにそのもちまえを与える」。ここは原文では"Creatures, I give you yourselves."です。Creatureとは、「被造物、つくられたもの」です。 I give you yourselves.とは、「私はあなたがたに、あなたがた自身を与える」、それは即ち、「自分という人格を与える」ということでしょう。「つくられたものたちよ、あなたがたに人格を与える」ということです。自分で考え、話し、愛し、責任もって行動する、そういう人格へと、「もの言うけもの」たちは造られたのです。それは私たち人間が創られたことの意味でもあるのです。
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