富山鹿島町教会

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「ナルニア国物語」について 第28回

4.「銀のいす」(8)

 牧師 藤掛順一


 泥足にがえもんの勇気ある行為によって、魔女の魔法は破れました。とたんに、魔女はその姿を変え、毒々しい緑色の大蛇に変身したのです。それが魔女の正体でした。リリアンたちはその大蛇を討ち果たしました。リリアンの母を殺したのはまさにこの大蛇(魔女)だったのです。
 魔女の死とともに、その魔法によって支配されていた地下の国は崩壊していきました。魔女の手下だった地下人たちは、さらに地下深くにある国の住民だったのが、魔女の魔法によってさらわれ、過去を忘れさせられていたのですが(彼らが悲しい顔をしていたのはそのためです)、魔女の死とともに彼らも自分たちの故郷を思いだしました。そこへと帰る割れ目が開かれたので、彼らは次々と自分たちの国へ帰っていきました。
 リリアン王子とユースチスとジル、そして泥足にがえもんは、魔女が地下人たちを使って、地上の国へと攻め昇るために掘ったトンネルを通って地上へと向かいました。そのトンネルはほぼ完成していて、あとひと掘りで地上に出られるところまでいっていたのです。魔女はまさに地上に攻め昇る寸前に退治されたのでした。
 そのトンネルの先端から地上に出たところ、そこはなんとナルニアのどまん中でした。魔女は地下人たちを用いてナルニアを征服し、リリアンをその王とし、自分がその支配者となろうとたくらんでいたのでした。一部始終を聞いたナルニアの小人の長老が「お話にうかがわれます教えは、殿下、北の地の魔女はいつも同じことをはかりながら、それぞれの時代で、それをはたす計画とてだては、まったくちがう、ということでございますな」と言いました。魔女(悪魔、サタン)は、(「ライオンと魔女」の白い魔女も、「銀のいす」の緑の魔女も)いつも同じことをたくらんでいます。つまり、人間を、この世界を支配し、その主人となろうとしているのです。しかしそのための手立ては、時代によって、状況によって違います。私たちは、今、悪の力がどのようなやり方で私たちを、この世界をねらっているのか、それをしっかりと見極める信仰の目を養わなければならないのです。
 リリアンの父カスピアンは、アスランのお告げによってナルニアに戻りました。リリアンはケア・パラベルの桟橋で父を迎えました。しかしカスピアンはもう歩くこともできず、横になったままリリアンを祝福し、そして息絶えました。ユースチスとジルが遠くからその様子を見つめていた時、アスランが現れ、彼ら二人を、最初のあの高い山の上へと一瞬のうちに連れていきました。そこの小川の流れの底に、死んだカスピアン王のなきがらが横たわっていました。アスランはユースチスに命じて、茂みの中から「いばら」の枝を取ってこさせ、そのとげを自分の足裏にうちこむことを命じました。ユースチスがその通りにすると、アスランの足裏から血のしずくが、王のなきがらの上の流れへとしたたり落ちました。すると、年老いた王のなきがらは、生きた若者となって彼らの前に立ちました。それは、ユースチスが「朝びらき丸」で共に航海した頃のあのカスピアンでした。幽霊を見ているような恐れを感じているユースチスに、カスピアンは言いました。「今わたしがナルニアにあらわれたとしたら、たしかに幽霊といったものだろう。なぜなら、もうナルニアにはわたしはいないのだから。けれど、じぶんの国にいて、幽霊であるはずがないぞ」。ナルニアで死んだカスピアンは、今アスランのもとで「じぶんの国」にいる。ここに、C・S・ルイスの死後の世界の理解が語られています。そのことは、最終巻「さいごの戦い」においてよりはっきりと示されていくのです。「いばら」と、それによって流されたアスランの「血」が、死んだカスピアンに新しい命を与える、そこにも、主イエス・キリストの十字架の死による救いが暗示されています。
 「銀のいす」は「ナルニア国物語」の中でも、神のみ言葉(しるべのことば)を携え、それを頼りに、しかし様々な失敗を繰り返しながらこの世の現実の中を旅していく信仰者の姿を印象深く描いている点で、傑作であると思います。そして沼人「泥足にがえもん」の魅力は他に抜きんでています。 
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