富山鹿島町教会

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キリスト教とは何か

第四章

牧師 藤掛 順一


4.この家で生きること

希望に生きる
 この家に住む信仰者の生活が、神様の恵みへの感謝、応答の生活であることを既に述べました。この家に住む者の生活のもう一つの基本的な要素は、「希望」です。神様が主イエス・キリストによって私達に与えて下さっている恵みは、「罪のゆるし」だけではありません。イエス・キリストのよみがえりは、私達のよみがえりと永遠の命の先駆けでもあるのです。このことについては、コリント人への第一の手紙の第一五章が大切な箇所です。まず、一二〜二九節をお読み下さい。二○節に「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」とあります。キリストのよみがえりは「初穂」であって、それに、私達のよみがえりが続いていくのです。さらに三五〜四九節には、私達がどのような姿でよみがえるのかが語られています。それは「霊のからだ」(四四節)と言われています。それがどのようなものか、「肉のからだ」で生きている私達は明確に知ることができません。然し、神様が、みこころのままに、「天に属する人」(四八節)としての、朽ちない、栄光のからだを私達に与えて下さるのです。それは、五○〜五八節に言われているように、死に対する命の勝利です。イエス・キリストのよみがえりは、死が私達の人生の最終的な支配者なのではなく、その死に対して「神は私達の主イエス・キリストによって、私達に勝利を賜わった」(五七節)ことを明らかにしているのです。それゆえに、私達は、死をも乗り越える希望に生きるのです。その希望のゆえに、この人生を精一杯、いっしょうけんめいに生きることができるのです。「主にあっては、あなたがたの労苦が無駄になることはないと、あなたがたは知っているから」(五八節)です。

キリストとの交わりに生きる
 キリスト者の希望は、「主にあって」の希望です。この家の主人であられるイエス・キリストとの交わりの中でのみ、この希望は現実のものとなるのです。ですからそれは、「いつかはいいことがあるから、希望を捨てずにがんばろう」ということではありません。希望に生きるために基本的に必要なことは、主イエス・キリストとの交わりを堅くすることです。キリスト者になるとは、具体的には、「洗礼」を受けて教会の群れに加えられることですが、それは、神様の招きによって、このキリストとの交わりを与えられることなのです。その交わりを深め、維持していくために、私達が努力しなければならないことがあります。それは、日曜日に行われる教会の礼拝に集い、神様のみ言葉を聞き、祈り、讃美することです。また、礼拝において行われる「聖餐」も、パンと杯をいただくことによって、イエス・キリストのからだと血とにあずかり、キリストとの交わりを堅くされる時なのです。礼拝においてこそ、私達は主イエス・キリストとの交わりに生きることができるのです。礼拝を生活の中心とし、礼拝からそれぞれの日常へと遣わされ、礼拝へと帰っていくことによって、私達の生活の全体が、主イエス・キリストとの交わりの生活となるのです。

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