1.はじめに
10月最後の主の日ですので、旧約から御言葉を受けます。ヨシュア記6章です。3章と4章において、ヨシュアによって率いられたイスラエルは、ヨルダン川を渡って約束の地に入りました。この時は春で、ヨルダン川は水量の多い時でしたけれど、主の契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川に入ると、川の水はせき止められ、イスラエルは干上がった川床を渡ることができたと記されております。5章では、イスラエルの人々は割礼を施します。そして、マナはなくなり、カナンの地で採れたものを食べました。いよいよ出エジプトの旅は終わり、約束の地での生活が始まります。その約束の地において最初に為されたのが、エリコという町の占領でした。これは大変有名な出来事です。
エリコは大変古くからある町で、発掘調査の結果、紀元前8000年紀には周囲を壁で囲った集落がここにあったことが分かっています。その壁は、厚さ2m、高さ4mであったことも分かっています。更に、紀元前1900年頃には、その壁の外側にもっと高い壁が建設されています。ヨシュアたちが目にしていたのは、その高い壁で周囲を囲んだエリコの町でした。
2.神の業としてのエリコの陥落
このエリコの町を前にして、神様はヨシュアにこう告げました。2節「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。」ここで「渡す」と訳されていますが、直訳しますと「渡した」という完了形で言われています。つまり、神様はまだ起きていないことを、既に起こったこととして告げられたわけです。神様の中では、もうそれは起きてしまったことと同じことであり、確実にそうなることとして、「エリコを渡す」と告げられたのです。
そして、ヨシュアに為すべきこととして告げられたことが、3〜5節に記されています。3〜5節「あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。」これは、軍事行動としては不思議な行為です。神様はこの時、ヨシュアにエリコの町を攻撃するための作戦を伝授したということではないと、私は思います。神様がヨシュアに命じられたことは、十戒の入った神の箱を携えて、祭司たちは角笛を吹き鳴らして、兵士たちは一日一回町の周りを回る。これを六日間行う。そして、七日目には町を七周し、最後に鬨の声をあげる。そうすると、町の城壁は崩れ落ちるというのです。これはどう見ても宗教儀式です。軍事行動ではありません。
この神様の言葉の中に「七」という数字が何度も出て来ます。ここでは、七人の祭司、七日目、七周、といった具合です。七は完全数で、神様の業を示します。神様が天地を造られたのが七日です。ここで七という数字が多用されているのは、この行動が神様の御業であること、聖なる神様の御業に仕えるものであることを示しています。これは宗教行為、宗教儀式です。軍事行動ではない。つまり、このエリコの陥落は全く神様によるのであって、イスラエルの軍事行動によるのではないということです。
イスラエルがイスラエルである、神の民が神の民であるということは、神様が共にいてくださるからです。神様の御業に仕える民だからです。それ以外に理由はありません。イスラエルに特別な力や能力や良き性格があるというようなことでは全くありません。それは私共とて同じことです。私共が神の民であるということは、ただ神様の言葉に従って、神様の御業に仕える者とされている、その一点に懸かっているのです。そして、その結果として、神の民は神様の大いなる御業を見る者とされ、神様の祝福に与る者とされるということです。
ヨシュアに率いられたイスラエルの民は、神様が命じたとおりに行いました。すると、難攻不落のエリコの町の城壁が崩れたのです。イスラエルの民は数も多く、兵士も優れていたので、エリコを陥落させることが出来たということではありません。聖書がこの出来事で告げていることは、神様がエリコをイスラエルに渡すとお決めになり、神様がエリコの城壁を崩されたということです。
3.沈黙の行列
ここで神様がイスラエルにお命じになった一連のことにどのような意味があったのか、私にもよく分かりません。ただ、どう見てもあまり意味があるとは思えないことを、イスラエルは神様がお命じになったとおりに行ったということです。これが大切な点なのでしょう。ヨシュアは民に命じます。「進め。町の周りを回れ。武装兵は主の箱の前を行け。」そして、七人の祭司は角笛を鳴らしてそれに続き、その後に契約の箱が行きます。また、その後にも武装兵が続きます。何か、祭りの行列のようです。一日一回、この行列がエリコの町の周りを回りました。それを六日間繰り返したのです。どう見てもエリコの城壁を崩すために意味がある行為とは思えません。しかし、それを六日間続けました。
10節には「ヨシュアは、その他の民に対しては、『わたしが鬨の声をあげよと命じる日までは、叫んではならない。声を聞かれないようにせよ。口から言葉を発してはならない。あなたたちは、その後で鬨の声をあげるのだ』と命じた。」イスラエルの人々はエリコの町の周りを回っている時、沈黙していたのです。何とも気味の悪い行列です。角笛の音と兵士たちの足音だけが響きました。この時兵士たちがどんな思いでこの行列に加わっていたのかと思います。「こんなことをして何になるのか。」という思いの人もいただろうと思います。しかし、一日一日と同じことを繰り返していく中で、沈黙を強いられた者たちの行列は「祈りの行列」へと、自分たちの思いをただ神様だけに向ける行列へと変わっていったのではないかと思うのです。
4.壁は必ず崩れる
そして七日目、イスラエルは朝早くから起き、同じように隊列を組んでエリコの町を七度回りました。そして、七度目に祭司たちが角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは「鬨の声をあげよ。」と命じました。民は一斉に鬨の声をあげます。すると、城壁が崩れたのです。イスラエルの民は町へと突入し、エリコを占領しました。
今日の説教の題を「壁は崩れる」としました。私共が壁を崩すのではありません。神様が崩してくださるのです。私共の人生においても、色々な壁に前進を阻まれることがありましょう。しかし、壁は崩れるのです。神様が崩してくださるのです。私共はその時を信じて、これが一体何の役に立つのかと思われることを、沈黙して、祈って、為し続けるのです。六日間イスラエルの人々がエリコの町の周りを回った時、何も起きませんでした。六日の間、一回町を回る毎に少しずつ壁が崩れていったのではありません。六日間何も起きず、七日目に七度回った後、鬨の声と共に壁は崩れたのです。
この出来事は、キリストの教会にずっと覚えられ続け、神の民を励まし続けてきました。神の民の歩みは、いつの時代でも様々な壁に阻まれてきたからです。しかし、この壁は必ず崩れる、そのことを信じ、神の民は歩み続けてきました。私共の前にはどんな壁があるでしょうか。日本というキリスト教の伝道地においては、伝道の壁があるでしょう。キリスト者の割合が1%を越えていかないという壁です。しかし、この壁も必ず崩れます。何故なら、神様はこの日本に住む、この富山に住む、一人一人を愛しておられるからです。独り子を与えるほどに愛しておられるからです。日本を富山を「あなたの手に渡す」と主は私共に約束してくださっています。だから、私共は安んじて伝道していくのです。この約束がなければ、私共の為すことは意味を持ちません。主の約束を信じる。この信仰によって私共は歩むのです。
5.キリストによって既に崩されている壁
1989年、ベルリンの壁が崩れました。東西冷戦の結果、1961年に生まれた壁でした。この壁は誰も崩せないと思っていました。しかし、崩れました。世界には今も多くの壁があります。人と人を隔て、国と国とを隔てています。しかし、エフェソの信徒への手紙2章14〜18節「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。」とあるとおりです。
私共には肉体の死という壁もあります。この壁は誰も破ることが出来ないほどに高く、厚い壁です。しかし、この壁も崩れます。いや、既にイエス様の復活の出来事によって崩れています。私共は、このイエス様の復活によって崩れた所から、復活の命へと信仰を持って突入していきます。
私共は、目の前にある壁が決して崩れないと思いがちです。確かに、私共の力ではどうにもならないでしょう。私共は弱く、知恵もなく、壁を前にしてため息をつくばかりです。しかし、今朝私共は、この壁を崩してくださる方がおられることを教えられました。天と地を造られた方は、全能のお方ですから、この方が崩せない壁など何一つありません。この方を信じる、この方の愛を信じるのです。この方が必ず壁を崩してくださいます。私共はその時が来ることを信じて、隊列を組んで、祈りつつ待つのです。
前週の礼拝の後、墓前祈祷会を行いました。その後で富山新庄教会の100周年記念感謝会があり、私共の教会から12名の方が出席しました。富山新庄教会は、私共の教会の牧師であった亀谷凌雲先生が開拓伝道した教会です。亀谷先生は、御実家の正願寺のある新庄で伝道を始められました。そこには実家のお寺の檀家があるわけです。亀谷先生はそれでも、いやそうであるが故に、どうしてもそこに伝道しなければと思った。それは、キリストによる救いを知らないこの町の人に、自分はイエス様の福音を、イエス様の救いを伝えねばならないと思ったからです。壁は厚かったでしょう。しかし、そこで50年伝道されました。そして今年、伝道100年を迎えました。まだ完全に壁が崩れたとは言えないかもしれません。しかし、必ず崩れます。いや、既に崩れはじめています。
6.救いと滅び
さて、この記事の中で気になる言葉が出てきます。それは、「滅ぼし尽くす」という言葉です。17節、18節、21節と繰り返し出てきます。何とも恐ろしい言葉です。絶滅させるという意味ですが、これを「聖絶」と言ったりします。これをどう理解すべきか。この聖絶という言葉は、ヨシュア記では、名詞・動詞で27回も使われています。これを現代に置き換えるならばとんでもないことになることは明らかですし、そんなことが許されるはずがありません。
私は、この聖絶については歴史的事実ではない、実際に行われることはなかった、そう考えています。何故なら、イスラエルにそのような力はなかったからです。イスラエルにそのような圧倒的な力があれば、エリコの町だってこんなことをしないで、城壁を破っていけばよかったのです。しかし、そんな力はないのです。エジプトで奴隷だった民です。戦争の仕方も知らなければ武器もない、難民の集まりがイスラエルの民だったのです。だから、出エジプトの旅においても地中海沿いの道を行くことが出来ず、東のヨルダン川を回って行かなければならなかった。海沿いの低地にはペリシテ人という、高い文明を持った人々が都市国家を作っていたからです。私は、イスラエルの歴史において実際に聖絶が行われたことはなかった、イスラエルにそんな力はなかった、そう考えています。
しかし、聖書にはこう記されている。それはどういう意味なのか。それは、神の民が他のすべての人々と同じになることを防ぐため。神様への信頼よりも、目に見える富や豊かさに目を奪われ、心を奪われないようにするため。それが、聖絶ということが敢えて記されている理由だと思います。イスラエルは何のために約束の地を目指し、ここに住むのか。それは、神様がアブラハムに約束したその約束に従うためです。ここで豊かになって、この世の栄華を手に入れるためではないのです。神の民が求めるものはそのようなものではない。しかし、そのようなものは、神の民にとっていつでも誘惑となり、道を誤らせるものになる。だから、聖絶せよと繰り返し記されているのです。相手が憎いから、敵だから皆殺しにするということでは全くありません。このことは確認しておくことが必要でしょう。
もう一つ6章に記されていることは、ラハブの一族が助けられたということです。遊女ラハブは、2章において、エリコの町を探るためにヨシュアに遣わされた二人の斥候が、エリコの王の家来に捕らえられそうになった時にかくまい、逃がしてやった人です。助けられた二人は、イスラエルがエリコを攻める時にラハブとその一族を助けると約束しました。その約束どおり、ラハブとその一族は助けられました。このラハブが、マタイによる福音書1章5節、イエス様の系図の中に出てきます。
私はエリコの町の聖絶はなかったと考えていますけれど、聖書はここで、エリコの町の滅んだ人々と助けられたラハブとを対比しているわけです。その意味では、このエリコにおける出来事は、終末における滅びる者と救われる者を指し示していると見ることも出来るでしょう。私共は、滅びる者ではなく救われる者として神様に選ばれ、ここに召し出されている。そのことを心から感謝したいと思います。
[2019年10月27日]
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