富山鹿島町教会

礼拝説教

「記念の石」
ヨシュア記 4章1〜24節
コリントの信徒への手紙一 11章23〜26節

小堀 康彦牧師

1.はじめに
 今日は9月の最後の主の日ではありませんが、来週は伝道礼拝ですので、今日、旧約から御言葉を受けます。ヨシュア記の第4章です。前回はヨシュア記の第3章、イスラエルの民が契約の箱を先頭にヨルダン川を渡った出来事から御言葉を受けました。
 春先の水量の増したヨルダン川に契約の箱を担いだ祭司たちの足が浸ると、川の水はせき止められ、壁のように高くなり、イスラエルの民は干上がった川を渡りました。これは、モーセに率いられたイスラエルの民が、前は海、後ろはエジプト軍という絶体絶命の危機を迎えた時、海が左右に分かれて道が出来て、イスラエルの民はエジプト軍の手から無事に逃げることが出来た、あの有名な葦の海の出来事と同じ事が起きたのです。神様は、モーセと共におられたようにヨシュアと共におられ、その全能の力をもってイスラエルを守り導いてくださっている、そのことをはっきりと示す出来事でした。今朝与えられております御言葉は、この出来事に対して、神様がイスラエルの民にどのようにすることを命じられたのかを記しています。

2.「記念する」ために
 1〜3節を見てみましょう。「民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに言われた。『民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい。』」とあります。神様は部族ごとに一人を選び、彼らに祭司たちがヨルダン川の真ん中に立ち続けた場所から1個ずつ石を拾わせると、12個の石を担いで行って、野営する場所に据えさせたのです。それは20節にある、ギルガルという場所でした。この石は一人ずつ肩に担ぐことが出来るのですから、そんなに大きな石ではなかったでしょうが、直径40〜50pくらいはあったでしょう。それをヨルダン川を渡ったギルガルの地に据えたのです。この12個の石をどのように据えたのか。、一列に並べて置いたのか、丸く円になるように並べたのか、或いは積み重ねて塔のようにしたのか、書いてありませんので分かりませんけれど、私は石を積み重ねたのではないかと思っています。その方が目立ちますし、目印になります。しかし、大切なことは石の並べ方ではありません。神様はどうしてそのようなことをイスラエルにさせたのかということです。
 何故、神様はそのようなことをさせたのか。それは7節を見ますと「ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の流れはせき止められた。これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる。」とあります。つまり、ヨルダン川の水がせき止められてイスラエルの民がヨルダン川を渡ったという出来事を、イスラエルの民に記念させるためであったというのです。
 「記念する」、それは神の民の信仰のあり方を特徴づけるものです。「記念する」ということがなければ、ユダヤ教もキリスト教も今まで続くことはなかったでしょう。実に、この「記念する」という行為こそ、神の民にとって重要なことであり、「記念する」ことこそ、神の民の信仰のあり方そのものだと言っても良いと思います。

3.「記念する」:語り伝えること
 では、「記念する」とはどうすることなのでしょうか。すぐに思い浮かぶことは、「思い起こす」「忘れないようにする」ことでしょう。神様がこのことを為してくださった、この出来事を忘れない。石というものはそう簡単に消えてなくなったりしません。「これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる」と言われているとおりです。
 ちなみに、9節に「ヨシュアはまた、契約の箱を担いだ祭司たちが川の真ん中で足をとどめた跡に十二の石を立てたが、それは今日までそこにある。」とあります。ここで「それは今日までそこにある」と記されていますが、ヨシュア記は、このヨルダン川の奇跡の後すぐに記されたのではありません。おそらく数百年後に記されたと考えられています。そうしますと、このヨシュア記が記された時まで、数百年にわたってこの石は残り、この出来事はイスラエルに語り継がれていたということになります。  ここで第二の点が重要になってきます。それは、「記念する」というのは、実際にこの出来事を経験した人が思い起こす、忘れないようにするということだけではなくて、イスラエルという神の民全体、神の民という共同体全体の記憶となる、共同体全体でこれを思い起こし、忘れないようにすることだということです。神様はそのために、子供に語り伝えることを命じられました。6節「それはあなたたちの間でしるしとなるであろう。後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには、こう言いなさい。」このように、神様は子供に語り伝えることを命じることによって、神の民という共同体全体の記憶として残し続けていく。それが神の民が神様の御業を「記念する」ことの大切な点なのです。
 私共は教会学校を行っています。それは、自分たちが救いに与った出来事を次の世代に伝えていく営みであり、大切な営みです。しかし、子供たちに伝えていく業の一番中心にあって責任を担うのは両親です。教会学校にすべてを任せてしまっては信仰の継承は出来ません。家庭において子に語っていく。私共が大切にしてきた、伝えてきたイエス様の御業、御言葉を語り伝えていく。その責任が、子を与えられた者にはあります。勿論、子は教会の共同体の一員として育っていくのですから、教会も精一杯のことを為してまいります。しかし、一番重要であり、責任があるのは、その親なのです。子が与えられた時に、自分の生涯で一番大切なことは子に信仰を与えることである、とはっきり自覚しなければなりません。そのために小児洗礼はとても大切であると考えるべきです。子供が大きくなっていくと、クラブ活動があったり、習い事があったり、様々なことがあります。しかし、この世の様々な誘惑から愛情深く我が子を守り、神の民の一員として育てていかなければなりません。そのためには、主の日の礼拝や教会学校、そして家庭における日々の祈りの訓練は特に大切です。そして、証しをすることです。子どもに、自分の上に何が起きたのかを語り伝えることです。

4.何のために記念するのか
 では、神様は何のために、イスラエルにここを記念するよう命じられたのでしょうか。神様は昔々こんな不思議な業を私共のためにしてくださった。それが、ただの昔話として語られ、伝えられていくだけならば、それは大して意味がありません。やがて忘れられていくでしょう。しかし、神様が「記念する」ことを命じられたのは、そういうことではありません。記念することによって、神の民という共同体の過去から現在そして未来に向かう神様に対するまなざし、あるいは信仰の形と言っても良い、それが形作られていくのです。この神様の奇跡によってヨルダン川を渡ったという出来事は、それを経験した者には、この大いなる業を為してくださった神様が、ヨシュアと共に、そして神の民である自分たちと共におられることを教えました。そして、その話を聞く次の世代の子供たちは、この大いなる業を為してくださった神様が今も自分たちと共にいてくださる、その信仰を受け継いだのです。そして、更に大切なことは、この大いなる業を為してくださった神様は、これから後も神の民としての自分たちと共にいてくださる、そのことを確信させたということです。実に、「記念する」ということは、神様の為してくださった大いなる業を思い起こし、忘れないようにする中で、その神様が今も私共と共におられるということ、そしてこれから後も共にいてくださるということ、その信仰を育んでいくのです。「記念する」ことは、過去の神様の業にまなざしを向けつつ、今も共におられる神様にまなざしを向け、神様によって導かれる将来に向かってのまなざしをも神の民に与えるのです。神の民にとって過去に行われた神様の御業は、昔々こういうことがあったと思い出すだけではなくて、その業を為してくださった方が今も共におられる。今の自分たちがあるのはこの方のお陰だ。この方は今も生きて働いて私共を守り、養い、導いてくださっている。そのことを心に刻むと共に、私共の明日はこの方と共にあるのだから大丈夫、何も心配することはない、そういう信仰を形作っていくのです。実際、そのようにして神の民の信仰は形作られて来ました。

5.他の記念すべきこと@:過越の出来事
 ここで、聖書に記されている、神様が記念するように命じられた幾つかの出来事を思い起こしてみましょう。
 第一に、過越の出来事です。出エジプト記12章に記されております。1〜11節を少し長いですが引用しますと、「エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。『この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。「今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。」』」とあります。ここには、過越の出来事のその日のことと、過越の祭りの祝い方とが重なるように記されております。
 更に、24〜27節に「あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」とあります。この過越の出来事もまた、子供と問答することによって語り伝えられていかなければならないと命じられています。ヨルダン川を渡った時と同じです。
 今見た出エジプト記12章には、この過越の祭りは正月の十日から始まるとあります。ヨシュア記4章19節「第一の月の十日に、民はヨルダン川から上がって、エリコの町の東の境にあるギルガルに宿営した。」とありますように、このヨルダン川の出来事も正月の十日です。つまり、過越の出来事を記念すると同時に、このヨルダン川を渡った出来事も語られてきたということなのです。

6.他の記念すべきことA:聖餐
 また新約聖書の中で、イエス様に「記念する」ように命じられているのが、聖餐です。先ほど、コリントの信徒への手紙一11章23〜26節をお読みしました。ここで、24節「わたしの記念としてこのように行いなさい」とあり、25節でも同じ言葉が繰り返されています。キリストの教会は、イエス様の十字架と復活の出来事を、聖餐をもって記念し続けてきたのです。この箇所は「聖餐の制定の言葉」として、私共の教会でも聖餐の度ごとに読まれている所です。この言葉はこの手紙が書かれた時、既に主の日の礼拝の中で定型句として聖餐において用いられていたものと考えられます。この言葉の元にあるのは、最後の晩餐の時に告げられたイエス様の言葉です。この手紙は、イエス様は十字架にお架かりになり、復活されてから25年ほど経って書かれました。ということは、イエス様がこれを記念しなさいと告げられてから、教会はこの手紙が書かれるまで記念していたということです。イエス様の十字架の出来事を思い起こし、それが自分のためであったことを心に刻み、そのイエス様が聖餐によって私共と一つになってくださったことを覚え、やがて神の国が完成する時に御国で共に与る食事へとまなざしを向けてきたのです。
 そもそも私共が日曜日に礼拝を守る、「主の日の礼拝」と呼んで礼拝を守る、それ自体がイエス様の復活を記念してのことです。私は「主の日の礼拝」という言い方をします。「日曜日の礼拝」とは言いません。それは、日曜日というのは暦の上での呼び方ですけれど、「主の日」というのは「主が復活された日」という意味で、代々の教会が用いてきた言い方だからです。教会は私共は主の日の度ごとに共に集い、イエス様が復活されたこと、今も生きて働いてくださっていること、そして私もまた復活することを心に刻むのです。これはとても大切なことです。私共はややもすると、イエス様の十字架と復活の出来事を、過去と現在の視点で思い起こしていないでしょうか。二千年前にイエス様が十字架に架かり復活された。そのイエス様が今、私と共におり、私を生かしてくださっている。それは大切なことです。しかし、それだけでは不十分です。私の将来、神の民の将来、この世界の将来もまた、ここから確信するのです。私共は復活するのですし、神の民は全世界を包むのですし、この世界は新しく創造されるのです。この将来への確信は終末信仰とも呼ばれます。ここがはっきりしなければ、私共の信仰は、私の心の平安のための道具に成り下がってしまうでしょう。天地を造られた神様の御子であるイエス様の十字架と復活は、そんな小さなものではありません。この全世界、全宇宙をも飲み込む、神様による唯一の救いの御業なのです。

7.私共のギルガル
 さて、この12個の石を据えたギルガルという所ですが、ここがヨシュアによって率いられた神の民がカナンの地を手に入れていくための拠点となりました。11〜13節に「 民が皆、渡り終わると、主の箱と祭司たちとは民の先頭に立った。ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族は、モーセがかつて告げたとおり、隊伍を整え、他のイスラエルの人々の先に立ち、約四万の武装した軍勢が主の前を進み、戦うためエリコの平野に向かって行った。」とあります。この4章は話が前後したり、繰り返しがあったりと分かりずらい書き方になっていますけれど、この記事はどう考えても、イスラエルの民がヨルダン川を渡った後のことです。イスラエルは、このギルガルに女性や子供を残して戦いに出て行ったということです。そして、戻って来ました。戦いに出て行く時にこの記念の石を見て、ヨルダン川を渡らせてくださった主が共にいる、大いなる御業を為してくれる、そのことを心に刻んでギルガルを後にしたことでしょう。そして、戦いが終わってギルガルに戻れば、本当に主が共に戦ってくださったことに感謝を捧げたことでしょう。神の民は、この記念の石を据えたギルガルにおいて、神の民としての歩みを為していきました。
 私共もそうなのです。この地上の歩みにおいて、私共は様々な戦いを強いられるのです。霊的な誘惑もありましょう。肉体の痛みとの戦いだってある。そういう中で、私共は主の日の度ごとにここに集い、そして再びそれぞれの場へと遣わされていく。この主の日の礼拝こそ、私共のギルガルです。イスラエルの民がギルガルにおいて記念の石を見て主の御業を心に刻んだように、私共も主の日の度に、イエス様が何を為してくださったかを心に刻む。そして、それぞれ遣わされている場へと出て行く。私共はそれぞれの場で、いつも信仰者として立派に勝利するとは限りません。しかし、またこの主の日の礼拝というギルガルに戻って来る。そして、主が共におられること、主は大いなる御業を為してくださった方であること、私の将来には御国の完成が備えられていること、それを心に刻んでまた出て行くのです。
 ヨルダン川を渡るという大きな出来事は、神の奇跡は、しょっちゅう起きるわけではありません。毎月こんなことが起きるならば、記念する必要なんてないのです。イエス様の十字架と復活は一回だけです。しかし、それは私を、そしてこの世界を変えてしまうほどに大きな出来事であった故に、私共はこれを記念するのです。そして、そのことによって私共は神の民であり続けるのです。神の民であるキリストの教会は、そのようにして歩んで来ましたし、今も後もそのように歩んでいくのです。十字架に架かり、復活され、今全能の父なる神様の右におられるイエス様が再び来られるその日に向かって、その日を待ち望みつつ歩んでいくのです。

[2019年9月22日]

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