富山鹿島町教会

花の日礼拝説教

「神の国は力です」
イザヤ書 37章33〜36節
コリントの信徒への手紙一 4章14〜21節

小堀 康彦牧師

1.コリントの教会
 今朝与えられております御言葉において、二つの言葉に注目したいと思います。一つは16節にあります「わたしに倣う者になりなさい」です。もう一つは20節の「神の国は言葉ではなく力にある」です。
 この手紙をパウロが書いた時、コリントの教会では「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」といった具合に、内部で争いが起きていました。教会の中に幾つかのグループが出来てしまって、互いに自分たちが正しいと主張する、そういう状況が生まれていたのです。コリントの教会はパウロが伝道した教会でしたので、彼は伝道者として、牧会者として、何とかそのような状況を収めたい、そう願ってこの手紙を書きました。
 コリントの教会がどうしてそのような状態になってしまったのか、理由は幾つもあるでしょう。けれど、その根っこには、「自分を誇る」ということがあったのは間違いありません。神の独り子であるイエス様は、私共が全くの罪人であったにもかかわらず、私共のために十字架にお架かりになって、私共の身代わりとなってくださいました。私共は、ただその御業によって父なる神様との間に和解を与えられ、神の子・神の僕としての新しい命に生きる者とされました。罪の縄目から救い出された私共です。このイエス様の救いに与った私共には自らの中に誇るべき所など、何一つありません。ただ神様の恵みと憐れみによって救われたからです。ほめたたえられるべきは、ただ神様のみ、イエス様のみです。自分ではありません。
 ところが、コリントの教会の人々は、まるで自分の力でそれを得たかのように思い違いをして、「自らを誇る」という罪を犯してしまっていたのです。人間というものはどこまでも、自分は大した者だと思いたいものなのでしょう。コリントの町は経済的に豊かな町でしたから、コリントの教会も経済的に豊かになっていたのかもしれません。パウロが伝道した時にはそうではありませんでした。1章26節で「兄弟たち、あなたたちが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。」と言っているとおりでした。しかし、いつの間にか、4章8節「あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。」と言うような状況になっていたのです。コリントの教会は人数も増え、経済的にも豊かになり、知恵ある者のように語る人も出て来たのでしょう。そのこと自体は悪いことではありません。しかし、そのように目に見えるところで豊かになっていく中で、それを誇るという心が芽生えてきてしまった。それは誰の心にも潜む罪であり、豊かになることによって生じる誘惑です。そしてコリントの教会の場合、自分たちの考えや関わりの中で、幾つものグループが作られ、互いに争うという状況まで生まれてしまっていたのです。

2.わたしに倣う者になりなさい
 パウロは、そのようなコリントの教会の人々に対して、16節「わたしに倣う者になりなさい。」と告げるのです。パウロは、自分には欠けもなく手本にすべき立派な人間だから、わたしに倣う者になりなさいと言っているのではありません。それではパウロも「自分を誇る」という罪から少しも自由でないことになってしまいます。それでは、コリントの教会のこの状況を打ち破り、神様の御心に適った教会へと導いていくことは出来ません。パウロはここで、「自分はただイエス様によって救われた。十字架にお架かりになったイエス様を、我が主、我が神として礼拝している者だ。そして、イエス様に従い、イエス様に倣って生きている。イエス様を愛し、信頼し、お仕えしている。イエス様だけを誇りとして生きている。イエス様に従うことに、自分の人生のすべてを注いでいる。」そのあり方において、「わたしに倣う者になりなさい。」と告げているのです。
 「わたしに倣う者になりなさい」という言葉には、忘れられない苦い思い出があります。私が神学校を卒業して伝道者として歩み始めた時、フィリピの信徒への手紙の連続講解説教をしました。その3章17節に同じ言葉があります。「わたしに倣う者となりなさい。」しかし、その言葉がある箇所になった時、私はこの言葉を避けて、この言葉に触れないようにして説教したのです。自分はとても「わたしに倣う者になりなさい。」とは言えない。そう思ったからです。私共は様々な欠けを持っています。その頃の私は、その欠けをなくして立派な伝道者にならなければいけない、パウロのような大伝道者には言えても今の自分にはとても「わたしに倣う者になりなさい。」とは言えない、そう思っていたのです。
 パウロだって欠けのある者です。パウロはその自分の欠けを知っていたでしょう。しかし、「わたしに倣う者になりなさい。」と言い切りました。それは、ここでパウロが「わたしに倣え」と言ったのは、性格とか、言葉遣いとか、しぐさといったものではなくて、ただイエス様を愛し、信頼し、従おうとしている、そのあり方において「わたしに倣う者でありなさい」と告げたのです。

3.信仰者としてのモデル
 パウロは続けて17節で、「テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。」と言います。テモテは、パウロからすれば自分の子供くらい年の離れた、若い伝道者でした。しかしパウロは、このテモテという若い伝道者にも、コリントの教会の人々が倣うべき姿があると見ていました。それは彼が、第一に「主において忠実である」ということであり、第二に「キリストに結ばれた生き方をしている」ということでした。
 コリントの教会は生まれたばかりの教会でした。教会の制度もまだ整っていない時代です。そして何よりも、イエス様に救われた者はどのように生きるのか、そのモデルを持っていませんでした。パウロとテモテ。人間のタイプとしては、きっと全く違っていたのではないかと思います。しかし、パウロもテモテも、イエス様に救われた者として、いつもそのことに感謝し、喜びを持って主の御業に仕えていました。自らを誇ることなく、ただ生きて働き給う神様を信頼して、為すべき業に励んでいた。その姿こそ、コリントの教会の人々が倣うべきものだ、そうパウロは考えていたのです。
キリスト者は皆、個性的です。伝道者もそうです。イエス様の救いに与った者は、キリスト者という一つの型にはまった者になるわけではありません。全く自由です。しかし、その自由を、自らを誇るためではなく主を誇るために、自分を偉い者にするためではなく人々に仕えるために用います。イエス・キリストに救われ、イエス・キリストを礼拝する者は、イエス・キリストに倣う者になります。イエス・キリストに従う者になるからです。イエス様を拝み礼拝するということと、イエス様に倣い従うということは結びついています。この二つが分裂してしまえば、私共の信仰には力がない、そういうことになってしまうのではないかと思います。つまり、イエス様は自らを誇ったか、十字架にお架かりになったではないか。このイエス様に私共は倣うのです。そこに私共の誇りがあります。
 私共の教会の牧師たちの名前を挙げても、人間としてのタイプは全く違う人ばかりです。戦後の5人の牧師の姿を思い起こしただけでも、皆、全くタイプが違います。鷲山林蔵、山倉芳治、大久保照、藤掛順一、そして私。本当にバラバラです。しかし皆、イエス様に救われ、立てられた者として、イエス様の福音を伝えるために身を粉にして歩んだ。そして、この教会の人々は、その時代時代の牧師の姿に、キリストに結ばれて生きる者の姿を見て来たのでしょう。牧師も人間的に見れば色々と欠けはあります。それはパウロにしてもテモテにしても、同じだったでしょう。しかし、ただ主を誇り、神と人とに仕える、そこに自分の人生をすべて注いでいった。そこには、少しの違いもないと思います。キリストの教会が生まれた時から、伝道者は、キリスト者のモデルとしての役目を持っていた。そして、私共長老教会においては、長老や執事といった人々もまた、そのような役目を担っているのです。

4.神の国は力です
 パウロは、20節「神の国は言葉ではなく力にある」と告げます。この言葉は、その前に「言葉ではなく力を見せてもらおう」とありますので、「あなたがたは口では立派なことを言っていても、実際はどうなのだ。」とパウロが言っていると読みがちな所です。そういう読み方が出来なくもないのですが、もう少し丁寧にこの言葉を読んでみましょう。
 パウロはここで、「神の国は」と言っています。神の国、即ち神の御支配ですが、私共はイエス様の十字架と復活によって一切の罪を赦していただき、罪の支配、悪霊の支配から、神の支配に生きる者とされました。私共は神様のもの。神の子、神の僕としていただき、神の国に生きる者としていただいた。もちろん、まだ神の国は完成していません。しかし、既に私共は神の国に生き始めています。私共が神様を愛し、信頼し、従っていこうと思っている、そこにはっきりと神の国に生き始めている「しるし」があります。罪の支配から引き出されて神様の御支配の中に生きる者とされたから、私共は罪と戦う者とされたのです。
 では、神の国に生き始めた私共は、何によってその恵みをいただいたのでしょうか。主イエス・キリストの十字架と復活です。この出来事は、ただ神の力によってもたらされました。死人の中から復活させる力、それは神の力以外にありません。とするならば、「神の国は力です」と言った場合、その力とは、私共の力ではなくて、神の力であるということは明らかでしょう。神の国は、人間の考え出した理屈や言葉によってもたらされたのではありませんし、人間の力によって完成へと至るのでもありません。それは徹頭徹尾、神様の力によります。

5.神の力によって
 神の国は理屈ではありません。それは、イエス様の十字架と復活という神様の救いの御業、救いの出来事によってもたらされました。そして、聖霊なる神様によって私共にそれを信じる信仰が与えられ、聖霊なる神様によって私共は少しずつ変えられていく。互いに愛し合い、支え合い、仕え合う交わりを形作っていく力こそ、神の国がここに始まっていることを明らかにするものです。この力は、何か不思議な奇跡を起こすことが出来る力を意味しているのではありません。そうではなくて、私共に信仰を与え、愛を与え、祈りを与え、謙遜を学ばせ、救いの喜びで満たし、キリストだけを誇りとさせ、これを伝えることを第一とする力です。この力がみなぎっている所において、キリストの体なる教会が健全に建っていきます。キリスト者の交わりが健やかに形作られていきます。ここに神様がおられることが明らかにされていきます。神の国がここに始まっていることが実証されていくのです。
 神の国は、言葉で説明されていくのではなく、イエス様を死人の中から復活させられた神の力が、イエス様を礼拝する人々、その群れに働いて、この世の交わりとは違う、そういうものに形作られていく、変容させられていく、そこに現れていくものなのです。神の国は、キリストの教会の中に、一人一人のキリスト者の中に始まっている。そのことを証しするために、キリストの教会はある。そこに私共キリスト者は招かれ、生かされているのです。

6.自らを誇る罪と戦う
 パウロは「わたしに倣う者になりなさい。」と告げましたけれど、それはパウロ自身が、イエス様を死人の中から復活させられた神の力によって生かされ、導かれていることを知っていたからです。彼は、大変な伝道者でありましたけれど、その伝道の業、その成果というものが、ただ聖霊なる神様の力によるものであることをよく弁えておりました。ですから、自らを誇るという誘惑から守られていたのです。パウロは、15章9〜10節で「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」と言いました。パウロは大伝道者です。それを否定する人はいません。パウロ自身、「他のすべての使徒よりずっと多く働きました。」と言います。「しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」と続くのです。私共が戦っていかなければならない大きな罪の一つは「自らを誇る」というものであることを思うのです。
 人は自らを誇ろうとするが故に、他の人と比べて自分の方が上だ下だと言い始める。愚かなことです。この愚かさからどうすれば私共は解き放たれるのか。それは、十字架のイエス様を拝み、この方によって今の私はあるし、私の将来もある。この方を愛し、この方を信頼し、この方に従って歩んでいこう。そのように主の日の度毎に、日々の祈りの度毎に、心に刻むということしかありません。善きことはすべて神様の恵み、悪しきことはすべて私の罪です。私共は既に神の国に生き始めています。ここに神の国が始まっています。神様の御支配の中に生きる者とされたのですから、再び悪しき者の支配へと逆戻りしないよう、共に祈りを合わせて支え合いつつ、御国に向かっての歩みをいよいよ確かなものにしてまいりたいと心から願うのであります。

[2019年6月23日]

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