富山鹿島町教会

礼拝説教

「蛇のように賢く、鳩のように素直に」
ミカ書 7章1〜7節
マタイによる福音書 10章16〜23節

小堀 康彦牧師

1.主が共におられることを知らされる歩み
 今朝与えられております御言葉は、イエス様が11人の弟子たちを派遣するに際して語られた5〜15節の御言葉に続く所です。5〜15節においてイエス様は、何も持たないでイエス様の救いの恵みを宣べ伝えていくようにと命じられました。お金も下着も履物も杖も持って行くなと命じられた。それは神様が共にいてくださって、すべてを備えてくださいますし、頼るべき方は生きて働き給う神様だけなのですから、目に見える一切のものに頼ってはならないと教えられたわけです。そして、その御命令に従ってイエス様の福音を伝えていく中で、イエス様の弟子たちは、本当に神様は生きて働いておられる、自分たちと共に居てくださるということを知っていくことになったのでしょう。
 キリストの教会の歴史は、この神様が自分たちと共にいてくださり、すべてを導いてくださっているということを知っていく歩みでありました。それは、自分たちが為すことはすべてうまくいくということを意味しているわけではありません。当然、うまくいかないこともあります。そのようなことの方が多いかもしれません。しかし、たとえうまくいかないことがあっても、そのような歩みの中ででも、主は共におられ、すべてを導いてくださっているということを知らされていく。それが教会の歩みなのであり、キリスト者の信仰の歩みというものなのです。
 私共の2017年度の歩みにおいてとても大きな出来事だったのは、奏楽者のM・Y姉が2017年1月2日に入院されたことです。朝の礼拝や夕礼拝の奏楽、教会学校中高科の礼拝の奏楽、葬儀等の奏楽など、奏楽のほとんどすべてをM・Y姉の奉仕に頼っていた私共でした。実は、礼拝の讃美歌を選ぶのもM・Y姉がしてくださっておりました。説教の後の讃美歌は私が選んでおりましたが、それ以外の讃美歌はすべて、聖書箇所と説教題と説教後の讃美歌を黙想されてM・Y姉が選んでくださっていました。ですから、M・Y姉が入院された時には、勿論M・Y姉の命が守られ、支えられるようにと祈りましたけれど、同時に一体これから毎週の礼拝はどうなるのだろうと思いました。私も祈りましたし、皆さんも祈ってくださったことでしょう。初めはY・M姉、F・T姉のお二人が奏楽を担ってくださいました。そして、それからS・K姉、そしてI・M姉が奉仕を担ってくださるようになり、四人の奏楽者が与えられて2017年度を歩んでくることが出来ました。本当にありがたいことだと思います。神様の備えというものを改めて教えられ、神様に感謝致しました。
 このように、キリストの教会は、共にいてくださる神様の備えの中を歩んでいるわけです。しかし、この神様と共にある歩みが、大変厳しい状況に置かれるということもあるのです。

2.迫害の中にあるキリスト者たちを励ますために
マタイによる福音書が記されたのは紀元80年頃ではないかと考えられております。それは、イエス様が十字架に架かり、死んで、三日目に復活され、天に昇られてから50年くらい後に書かれたということです。この福音書が記された時代、キリストの教会はとても大変な状況に置かれておりました。ユダヤ人社会からは異端視され、ユダヤ教から改宗した人々はユダヤ人社会からは追放される。また、多神教を旨とする文化土壌にあったローマ・ギリシャ社会では、イエス様だけを神様とするキリスト教は異邦人社会からも迫害を受けるという状況にありました。マタイによる福音書を記した人は、そのような状況にあるキリスト教会やキリスト者のことを思いつつ、イエス様が語られた言葉をきちんと記して、キリスト教会やキリスト者を慰め、励まさなければならない。そんな思いを持って、この箇所を記したのではないかと思います。
 迫害と一口に言っても、その程度や範囲は千差万別です。一番激しく、広範囲にわたって為されるのは国家がその力を用いて直接的に弾圧するというものでしょう。迫害と言われた時に私共がイメージするのはその様なものかもしれません。しかし、国家は直接には手は下さないけれども、社会的にのけ者にし、差別し、生きにくい状況に追い込んでいく、そういうのもあるわけです。ローマが直接、国家として、皇帝の命令としてキリスト教を迫害したということはそれ程頻繁に行われたわけではありません。しかし、キリスト者が極めて生きにくい状況に置かれたということは、しばしばありました。この福音書を記したマタイは、そのような厳しい状況の中にあっても、神様の御手の中にキリスト者は居る、キリストの教会は神様の御手の中におかれている。イエス様は、この厳しい状況もあらかじめ御存知で、このように語っておられたではないか。そう語りかけた。そして、だからそのような中にあっても、しっかり信仰に立っていくようにと励まそうとしたのです。

3.知恵と信仰を求めて
 イエス様はまず、こう言われました。16節「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」イエス様は、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」(9章36節)のです。そこで、弟子たちを遣わされた。ところが、「飼い主のいない羊」であった人々が、ここでは「狼の群れ」になっているのです。どういうことなのでしょうか。自分たちが飼い主のいない羊だと分かり、イエス様に遣わされた弟子たちを羊飼いとして迎えるならば、それは本当に幸いなことです。しかし、そのようなことは滅多に起きない。イエス様の福音を決して受け入れない人々、福音を伝える弟子たちに狼のように襲いかかってくる人々、そのような人々によって弟子たちが様々な迫害を受け、差別を受け、嫌がらせを受けるということをイエス様はよく知っておられた。だから、こう言われたということなのでしょう。何故なら、イエス様御自分が律法学者やファリサイ派の人々からひどい扱いを受け、ついには十字架の上で殺されてしまったからです。イエス様は、世間というものがただの羊ではなく、狼の群れのように恐ろしいものであることをよくよく知っておられました。それで、このように言われたのです。「わたしはあなたがたを遣わすけれど、それは狼の群れの中に羊を送り込むようなものだ。狼の群れの中に羊を入れれば、かみ殺されるだけだ。あなたがたも大変な目に遭うだろう。羊は、狼に対抗出来るような牙も鋭い爪も持っていないのだから。」だったらどうすればいいのでしょうか。
 イエス様は、「だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」と言われたのです。この言葉は様々に理解されてきましたけれど、あまり難しく考える必要はないのではないかと思います。単純に、「賢く、素直であれ」ということでしょう。この「賢く」というのは、23節に「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。」とありますように、身の危険を察知したら、それを回避するように賢くあれということでしょう。「蛇のように」とあるから、相手を騙しても良い、やられる前にやってしまえ、ずる賢くあれということではないでしょう。「蛇のように」という点にあまりとらわれない方が良いと思います。「野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。」(創世記3章1節)とあります。単純に、「とても賢くあれ」ということではないかと思います。そして、「素直に」というのは、イエス様の守りと支えと導きを素直に信頼して生きる、そのような信仰を保ちなさいということでしょう。
 つまり、ここでイエス様が言われたのは、知恵と信仰を持てということです。この知恵というのは、信仰を守るための知恵と言っても良いでしょう。それは神の知恵です。人間の知恵はすぐにずる賢いというようなものになってしまいますけれど、ここでイエス様が言われているのはそのようなものではありません。知恵というものは、旧約以来、神様が私共に与えてくださる賜物の一つです。信仰を保っていくためには知恵も必要です。そして、この知恵と信仰は神様が与えてくださるものです。

4.聖霊の導きの中で
 イエス様は引き続き17〜18節で「人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。」と告げました。これは、使徒言行録の中に記されているキリストの教会が実際に味わった出来事ばかりです。
 使徒言行録4章に、ペトロとヨハネが議会で取り調べを受けたことが記されております。ペトロとヨハネは牢に入れられた後、大祭司たちの前に立たされ、こう尋問されました。7節「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか。」「ああいうこと」というのは、彼らが、3章6節で「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言って、生まれながら足の不自由な人をいやしたこと、そして神殿でイエス様の福音を宣べ伝えたことです。ペトロは大祭司のこの尋問に対して、8節「ペトロは聖霊に満たされて言った。」ペトロが何と言ったのか、今、丁寧に見る時間はありませんけれど、10〜12節「あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」と答えます。これに議員たちは何も言い返せませんでしたが、18節「二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。」しかし、19節「ペトロとヨハネは答えた。『神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。』」実に見事なやり取りです。これはすべて聖霊の導きの中でのことでした。  そして、パウロもまた、総督や王の前に出て弁明しました。使徒言行録21章から26章まで、そのことが記されています。21〜22章では千人隊長に対して、23章では最高法院において、24章では総督フェリクスに対して、26章ではアグリッパ王に対して、イエス様の福音を堂々と語りました。
 まさに、イエス様が19〜20節において「引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。」と言われた通りでした。このような例は幾らでも挙げることが出来るでしょう。宗教改革の時代においても、ルターは国会に立たされ、「信仰のみによって救われる」という説を撤回するよう求められましたけれど、ルターは「聖書はそう告げている。」と語りました。実に、聖霊によって福音は保持され続けてきたのです。
 先程、知恵と信仰が大切で、それは神様が与えてくださるものだと申しましたが、引き渡されたときにどう話すか、それも「父の霊」すなわち聖霊が与えてくださるというのです。私共は、自分の知恵や自分の信仰の熱心さや自分の言葉によって、伝道の業を何とかしようと考えてしまうところがあります。しかし、私共の知恵に頼った伝道の業など、まことに力が無く、破れるしかありません。この世の狼の群れを前にしたら、何の役にも立たないのです。しかし、そのような弱く愚かな私共に神様が知恵を与え、信仰を与え、言葉を与えてくださいます。私共はそのことを信じて良いのです。そして、それを信じる所にしか、キリストの教会は立っていくことは出来ません。聖霊なる神様が働いてくださって、その歩みのすべてを守り、支えてくださるのです。聖霊なる神様は、私共が順風満帆の時にだけ働いておられるのではありません。いつでもどこでも働いてくださっています。良い時も悪い時も働いてくださっています。

5.日本の中で、北陸の中で
 私共は、キリスト教、キリスト者は世間から歓迎されるものだと思っているところがあるかもしれません。確かに、そういう時代もあるかもしれません。しかし、いつの時代でもそうであるわけではありません。今はどうでしょうか。私はこの日本が、本気でキリスト教を歓迎した時など一度もないのではないかと思っています。例えば、明治の初めにキリスト教が入ってきた時、百を超えるキリスト教の学校が建ちました。まだ、日本に教育制度が整っていなかった時代です。しかし、明治20年に教育勅語が発布されますと、あっという間にその多くが閉鎖に追い込まれていきました。北陸学院は、その中で生き残った数少ない学校の一つです。もっとも、男子校は閉鎖されてしまいました。
 昨日、北陸学院大学同窓会富山支部の総会がここで行われました。最近は卒業生のおよそ一割が富山県の人だということですが、この総会にはいつも20人くらいの方が集います。今回は第一期生の高岡教会のA姉妹が出席しておられました。90歳を超えた方です。こんな話をしてくださいました。
 高岡教会の坂ノ下保育園は、北陸学院の第三幼稚園として出発しました。第一幼稚園は金沢にあります。第二幼稚園は富山にあったのですが、アームストロング青葉幼稚園が始まるということで撤退したようです。それで、坂ノ下幼稚園は北陸学院の第二幼稚園になったのですが、高岡で一番古い幼児教育施設です。そこにAさんが勤めます。その時、お父さんは「耶蘇の幼稚園に勤めても、耶蘇にはなるな。」と言われたそうです。いつも耶蘇、耶蘇と言われたそうです。「でも、三年勤めて洗礼を受けました。毎日、朝の7時から夜の7時まで働いて、土曜日には日曜日の礼拝のために教会の掃除もして、日曜日には教会学校をして、毎日目が回るような日々でした。」とおっしゃっていました。今だと典型的なブラック企業ということになってしまうのでしょうけれど、その話を聞きながら、私は聖霊の働きというものを思わされました。当時の坂の下幼稚園は牧師夫人が中心になっておられたようですけれど、聖霊によって与えられる熱と言いますか、それが若い先生方に伝わって、みんな一つになって歩まれていたのだと思いました。耶蘇と言われようと、目の前の子どもたちのために全力で愛情を注いできた。仕事として、給料のため、というだけではない何かがあったのです。それは聖霊の働きと言うべきものではないかと思います。伝道というものには、キリスト教の教育・福祉という働きには、この聖霊の働きというものがなければなりません。

6.最後まで耐え忍ぶ者は救われる
 さて、イエス様は、そのような厳しい時代を通らなければならないことを予告し、そして22節で「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」と言われました。この約束こそ、厳しい時代をなお信仰を守って歩み通そうとするキリスト者を励まし続けた御言葉です。最後まで耐え忍ぶ。最後とはいつでしょう。23節の最後に「人の子は来る。」とイエス様は言われました。最後とは、イエス様が来られる時です。その時、私共はイエス様に似た者に変えられ、復活の命、永遠の命に生きる者とされる。神様と、顔と顔を合わせて見るような、あり得ないほどの親しい交わりの中に入れられる。その時を目指して、その時まで、どのような時代であろうと、人々から歓迎されようと迫害されようと、私共はイエス様の与えてくださった福音に生きる。キリスト者として生きる。そのように私共が歩む時、その時々に必要な知恵も言葉も、聖霊なる神様が与えてくださいます。だから安心して、キリスト者としての誇りを持って歩んでいけば良いのです。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」と約束してくださった、このイエス様の御言葉を信じ、歩んでいくのです。

[2018年4月15日]

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